管理された自然を「自然」と言えるのだろうか?

奥入瀬渓流の遊歩道で落ちてきた木の枝で怪我をした人が訴訟を起こし、勝訴した。という話ですが、原告の人の怪我はともかく、行政が木の一枝まで過度に管理するのは、落合先生のおっしゃる通り、「過重な義務を課すことは、かえって環境破壊にもつながりかねない。」弁護士 落合洋司の 「日々是好日」より)ですし、何よりも表記記事中にある青森大大学院の藤田均教授の言葉にあるように、「利用する側にも意識改革が求められる」のではないのでしょうか。
ボクが屋久島の縄文杉へ行く「大株歩道」を下った時の違和感がまさにそれに繋がるのですが、自身のブログでも時折書くようにうわべだけの理解で来て欲しくないし、「自然」が相手という謙虚な気持ちが必要だと、というか山に行くと自然にそういう気持ちになるというのが普通だと思います。
管理されてない自然の中にこそ「自然」の美しさがある訳で、それを目の当たりにする事で人は感動し、心が洗われるものではないか。その様に考えております。