ボクが闖入、いや乱入したかったぐらいです。(笑)

フィリップ・パカレ(Philippe PACALET)氏の諏訪訪問記ですが、読んでいて正直言うとボクも聞きに行きたかったです!!! (一般人は駄目なのは承知の上で。サイトをクリックして見た瞬間、マジで羨ましいと思いました。しかし、飛行機嫌いって、オランダのサッカー選手のベルカンプと一緒やんけ。)
「よかった、パカレ氏が良心的で『自然体』な自然派で。」と率直に思いました。
私は、所謂「自然派ワイン」は好きなのですが、一つだけ気に入らない事があって、それはニコラ・ジョリーを始めとする西欧の殆どの自然派の人(かどうかは断言出来ないのですが、、、。)が、唯神論的にバイオ・ダイナミクスを信奉し、強引なロジックで語っている傾向が強い事です。Winart (ワイナート) 2006年 05月号ワイナート 2006年 05月号の126ページに小特集としても出ていましたが、異口同音に「神がかった」発言が多く、宗教が嫌いで、理系(化学専攻)のボクにとっては「なんか、ちょっとなぁ〜」という雰囲気がプンプン匂うからです。(物事全てそうですが、『絶対的にこれが正しい』というのはありえません。真実は多面的なものだから。)
同じ自然派でも、ティエリー・ピュズラ氏はメディアの記事等を見る限りでは、気さくなニイチャンという感じで完全にビオ命という雰囲気が無いので好きですが、どうもニコラ・ジョリーを見ると余りにもの強引さと強迫観念的な面に辟易してしまいます。
ボク自身、米国人みたいに唯物論者ではないし、むしろ小さい頃から登山に親しんできた身として自然に関しては、神様を崇めるが如く絶対視する存在でも無いし、かといって征服する対象でもないし、なんといったらエエか難しいですが、一緒にいて「大変な事もあるけど素朴に楽しい」相手なのです。
大体、山登りしていると、雨が落ちてくるは風がぶっ飛んでくるは槍が、、、降ってこないか、とまぁさておき、キビシク牙を向く時は神さんにすがってもどうにでもなるものではありません。その一方で、何物にも替え難い美しさを見せ心に潤いを与えてくれます。そうすると、『自然と』自然に対して謙虚な気持ちが出てきて、五感が鋭敏になります。(下界降りるとしばらくはウワーと感じます。笑)それと、「エコロジスティック」にモノを考えるのは大体人間自体の存在が文明社会そのものであることから矛盾しているし、科学技術自体がそもそも自然の法則から導き出したもので、人間が文化的かつ豊かに暮らすための手段として発達し、利用してきた事を否定するのは人間の存在を否定するのに近いと思います。(そもそも、醸造そのものが自然現象を科学的に有効利用している事例ですから。) ただ、それを勘違いして「人間が万能になったと思い込み」、3月31日の記事のようにバランスを欠いた状態が今地球上で生じているのだと思います。
そういう意味では、4月6日の記事の「仲村わいん工房」の仲村現二氏の姿勢がごくフツウで一番マトモと思えます。(確かに、感性だけで自然の動きを読み判断するのではなく、それを体系化して理論立てしたという意味で、ルドルフ・シュタイナーのバイオ・ダイナミクス理論はそれはそれでスゴイとは思いますが、、、。) そして、記事中にあるパカレ氏の言葉、

「私にとって一番大切なのはテロワールを表現することなんだ。そのために、土壌の自然酵母バクテリアを殺してしまう化学合成剤や除草剤を撒かず、また酸化防止剤醸造中は使わない。自然な造り自体が目的というわけではない。だからこそ、ビオディナミやビオロジックといった手法にこだわるのではなく、必要な要素は取り入れながらも、あくまで自分流で、栽培・醸造に臨んでいる。」

が、胸に響くのです。
人間は、「大脳皮質」という素晴しい性能のコンピューターでもってしても勝てないような、とみに優れた思考回路を持っています。(有効利用せんと勿体ない!)それ故に、盲目的に信じるのではなく、何が必要で何が不必要かを取捨選択し試行錯誤しながら道を歩んでゆく事が重要ではないか。私はそう思います
記事の続きを読むのが楽しみです。
(情報元=TRIPPA 通信+1
●参考リンク先
「ドメーヌ訪問記・フィリップ・パカレ
ブルゴーニュ魂ブルゴーニュワイン(と日本ワインも)を語る上では外せないサイトで貴重な情報源です。左記リンク集にも載っけてます。)
(追記)
しかし、よく諏訪に洋楽扱ってるカラオケがあったなぁ〜。
この、ロケンローかつパンキッシュ(パンクは結局破壊的な姿勢に終始してしまいましたが、既成概念へ疑問を投じ、イイ意味での反骨精神を養ったとボクは考えてます。)な精神、好きです!