ポジティブリスト制度の施行、そしてビオロジーについて再び考える(その2)

昨日はポジティブリスト制度そのものと、施行で懸念されることについて触れましたが、制度運用によって生じる混乱はさて置き、今日は、ポジティブリスト制度施行に伴い、改めてその存在意義が問われるビオロジー有機農法)について考えてみたいと思います。
何でポジティブリスト制度とビオロジーが唐突にどう関係あるのといぶかしむ方もおられるかもしれませんが、私個人の考えでは、従来のようなアバウトな規制下で特別何も考えずに漠然と農薬を使用するのでは無くこれほどまでに厳しい農薬管理と運用が求められるポジティブリスト制度の下では、適切な使用方法に従って農薬が用いられる慣行農法であろうと、無農薬(減農薬)で植物本来が持つ抵抗力を最大限に引き出していく有機農法であろうと、いかに農薬や作物に対してキチンと向き合って世話していくことが改めて求められている訳で、どちらが優れている、どちらが善だ悪だという問題ではないということです。そういう事を考えると、今回の施行は科学に対する向き合い方を改めて問い直す絶好の機会だと思います。
過程は違っても、本当に「消費者のために美味しい農作物」を作りたいという信念をもっていればどちらの方法をとっても変らないハズで、5月8日の記事でも触れたパカレ氏のように筋の通ったロジックのある(その正否は別として)自然派ならば納得はいきますが、唯神論的に信奉し敵対する概念に対して感情論的に完全な『悪』と決めつけるようなニコラ・ジョリーのスタンスは、ややもすると自分の立場を都合のいいように正当化しているとしか受け止められません。
また、「売らんかな」という理由で有機農法をとっている人もいるのも事実ですし、手段が目的化している悪しき例かなと思います。
こういうような姿勢をとり続けていると、真面目に慣行農法されておられる農家はモチロンのこと、論理的なスタンスで地道に研究心をもって有機農法に携わっておられる農家にとってもありがた迷惑で、正しい情報がセンセーショナルなプロパガンダの前に吹き飛ばされてしまいます。
例の諏訪訪問記に登場している日本ワインの醸造および栽培家の方々は、私も知っている志の高い真面目な人達ですので、決してこのようなことに陥ることは無いと信じてますが、消費者(飲み手)はシビアに見ているハズです。
「フィリップが実践する栽培法、醸造法とまったく同じことはできないでしょう。」と 例の記事中に書かれてますが、常に研究を怠らず取捨選択し試行錯誤しながら道を歩んでゆくことできっと道が開けると思います。そんな醸造家や栽培家の皆さんを私は応援したいです。
●参考記事
食の損得感情・トップダウンが招く成長の限界
食の損得感情・有機農法の普及とGM作物推進に共通する想い
(「FOOD SCIENCE」齋藤訓之氏コラムより)
この二つの記事では栃木県の稲葉光國氏の事例を挙げており、有機農法といえども科学的なアプローチをとり、論理的に研究した上で進めている有用な事例と率直に感じました。
道徳と科学
昨日の記事でも参考にさせて頂いた、やまたろう氏の『農家のあとつぎの独り言』より)
非科学的な事と、科学的なことが区別されず渾然一体となって議論される事の危険性を訴えておられます。