『料理通信』最新号(12月号)の「飲み遅れるな!これが日本ワイン現在形」を読んで。

今日は早めに帰宅し、後片づけも早く済ませゆっくり静養出来ました。
で、帰宅して届いていた最新号を早速拝見。今回のネタは「Beau-Paysage、La Montagne "Trans"(2004)」です。(2006年6月10日記事参照)
このワインに関する逸話は表記雑誌を読んで頂くとして、小生もオリジナルの「La Montagne(2004)」と一緒に送付をお願いし、賞味させて頂いたのですが、本チャンの「La Montagne(2004)」が岡本氏のワインの根底に通じる「身体をあわせるのではなく、身体に自然とあってくる希有なワイン」でありながらしっかりと腰の据わったメルロ100%のワインに対し、同じメルロでも運悪く天候でヴェレーゾンが今一つだったブドウでも自然の営みをそのまま受け入れ別のラインナップとして出したものです。(岡本氏に関しては2006年3月27日記事も参照して下さい。)
でも、腰の据わったオリジナルに対し、これはこれでもっと気楽にたしなむ事が出来る別の良さを持ったワインでした。(色が薄いとか濃いとかは単なる一面でしかワインを見ていないと思います。)
9月頃、オブセワイナリーさんの「'05 小布施ルージュ特別ヴァージョン ・クラシック カベルネ」(2005ヴィンテージのみの限定品。Webページのリスト上では既に販売終了。)を頂いたのですが、自社畑が雹害にあった年に他の農家さんより良質のカベルネを分けて頂き、醸造したこの年限りの「ゲーミーなカベルネ80%+ブラッククイーン20%」とコメント付のワインですが、オーソドックスな味わいのカベルネ・ソーヴィニョンのワインで、こちらも気取らず楽しく飲めた逸品でした。
今、上記に挙げた二つのワイン、出自やその過程・造り手の想い等それぞれ異なります。が、共通するのは『自然のあるがままの営みを謙虚に受け止め、それに対し真摯に考えて造り手なりの考えと想いを基に小細工なしにありのままを打ち出したワイン』とボクは考えております。そして、そんなワイン達は結果として主役を驚かせる存在にもなりうるということです。
富士山から帰ってきて、改めて厳しいながらも懐の深い自然の有り様とその存在を素直に感じ受け入れることで邪念が抜け、それが却って良い方向に自然と導かれる。痛切にそう感じました。(ホント奥が深いですね。)結果そうすることで自然の眼差しが有難いものに思える(エコとか環境保護とかいう勿体ぶった理屈を超越した、もっと素朴な心です!)のではなのでしょうか?
今年は例年以上に厳しいヴィンテージとなることが予想されてます。そうした時、ワインの造り手がどのような解答を示すのか? 興味ある所です。
(追記)
TRIPPA通信、1周年。」 本当におめでとうございます。いやー、毎号よく頑張っておられますよ。おかげさまで有難く読まさせてもらってます。
多忙で「手みやげ特集」のアンケート、出しそびれました。明日(11/6) FAXでお送りしても構いませんか?(スミマセン、業務連絡で)