たかが飲み物、されど飲み物。ー『リアルワインガイド(RWG)』最新号を読んで。

今号より「TRIIPA通信+1」などでおなじみの鹿取みゆき氏による日本ワインに関する連載が開始された『リアルワインガイド』。小生も毎号買っておりますが、今回はかの新連載だけでなく、最近深刻な値上がりが懸念されているブルゴーニュワインを再考するという観点で特集が組まれていたので、それを中心にボク個人がいろいろと考えた事を徒然なるままに記して行きたいと思います。
で、かくなるボク自身も日本ワイン程しょっちゅうは飲みませんが「ブルゴーニュワイン」は大好きで、いろんな地域にいろんなドメーヌ(生産者)とあって、個性豊かで奥が深くオモロイと思います。モチロン、至高の黒ブドウ「ピノ・ノワール」や白ワインの代表格品種「シャルドネ」の個性を如実に引き出している産地というのもありますが、ブルゴーニュは何はさて置き『多様性』がキーワードでしょう。
そのブルゴーニュ、最近は小生もお店を覗き思うのですが、価格高騰の激しいコトったらありゃしないという訳でおいそれとは手を出し難いのが正直な所で、ボクの知っている人達も嘆く事しきりです。
(これは、ブルゴーニュだけに限った話ではありません。仏ではボルドー(2005物の先物買い付けの異常な高騰ぶりには目ん玉飛び出ました。)、シャンパーニュ、伊ではバローロやスーパータスカン等も同様の傾向だし、ユーロ高と無縁の新世界でもプレミアワインは高額化してます。)
やっぱり、2006年12月4日の記事で触れた、『ワインの神格化』は何も日本に限ったコトではなく、グローバルに進行しているのです。(つまり、ブランドイメージ化とその刷り込み。そして戦略的売り込みですな。)そして、実際にその事を実証しているのがかの映画『モンドヴィーノ』だったと改めて感じずにはおれません。そして、RWG最新号のP.138の堀晶代氏の「フランスワインまみれレポート」で触れているように、『ややこしく、時に古くさくて高い飲み物』とフランスの若者が捉えていること(それだけでなく、過去の「WINE21」にも同様の話がアップされてますし、Ryo氏のブログ「夢わいん日記」でも「フランス人のワイン離れ」として取り上げられてます。)からも、何も日本に限った話ではないのです。
「ワインは農産物であり、そういうブランドイメージ化や経済原理だけで動くのはケシカラン!」と息巻く人もいるでしょうが、単純にそう斬って捨てるのは一面でしか物を見てないのではと考えてます。商品として売る以上「ブランドイメージ」としての存在も無視出来ないのは事実です。そして、それがドメーヌ(ボルドーではシャトー)のステイタスを維持する上では不可欠でしょう。ただ、それを勘違いして強気の価格攻勢に出るのは話が違うと思います。逆の見方をすれば、「ブランドイメージ」を価格でしか演出出来ていない中身が伴ってないものと賢明な人は感じているに違いありません。(こういう演出をする人も経済原理の一面に囚われている悲しい人で、上記の「農産物原理主義者」と立場が違うだけで、根っこはなんら変わりない。そして、金にモノを言わせ買い漁る人々もです。)
この状況を見ると、音楽を聴くのが好きな自分にとっては、『パンクの勃興期』寸前とダブって見えるのです。つまり、プログレやハードロックの商業主義化が進んで、「ロックが死んだ」と思われた頃です。で、その反動で「自分達の手に取り戻すんだ!」とパンクが登場したのですが、ピストルズを始めとするパンクロッカーやそのファンの大部分は無邪気に空騒ぎし反抗するのが目的だけで、その行く末は惨憺たる物でした。
今回取り上げられている、「新ブルゴーニュ」のヴィニョロン達は破壊的なやり方で結局は自滅の道を歩んだパンクロッカーとは違い地に足をつけたバランス感覚に優れた人達で、故アンリ・ジャイエ氏を始めとする賢明な偉人の知恵を吸収し、一方で先人の失敗を反面教師として、現代に通じる形で各人が個性溢れるアプローチでワインの正しいあり方を再構築していると感じました。
そういった、生産者の姿を正しく、しかもコンスタントに取り上げるのはマスコミに課せられた宿命であり、昨今の「日本ワインを取り上げたメディア」の話で取り上げたような表層的かつマッチポンプ的扱いは日本ワインのみならず、ワイン全てに関して絶対にして欲しくない!と願わずにはおられません。そして、「表層的かつマッチポンプ的扱い」をある意味助長させている一担は無邪気にはやし立てるだけの飲み手にもあるというのは、穿った見方でしょうか?(現に、「金にモノを言わせ買い漁るどっかの国の人々」がまさにそうです! それと、11月16日の記事の「ボージョレ・ヌーヴォー」が典型的な例です。あれだけマスコミははやし立てて、今では「高い」などとネガティブキャンペーンばかり。買う方もソッポ向くし、造る方も急いで造った手抜き品が殆ど。それに今ではもう半値でたたき売りセール。悲しい、、、。)
いみじくも鹿取氏が今回の連載でも指摘してますが、小生も12月4日の記事で指摘したように、やはり飲み手の真剣なコミットも今問われている。それが事実だと思います。
(まぁ、こう言ってきましたが、ワインを飲む時はとにもかくにも堅苦しく考えずに楽しく飲みましょう! 堅苦しい存在にせず、かといって無邪気にはやし立てるだけでもなく、日常のお供としてごく自然に親しむのが何よりも一番の薬で、そうすれば真摯な造り手冥利につきると思いますし、彼らもそういった有り様を本当に望んでいるに違いありません! で、気が向いたらマジメに造ってくれているヴィニョロン達の想いに馳せながら真剣に考えてあげてネ。笑)
(追記)
2006年11月9日の記事にも出た上の写真にもチラリと見えてる『この雑誌』
取材も手抜きっぽく内容お粗末だし、誤植も散見されます。マスコミに矛先を向けて一人で怒っても不毛なだけですが、アチコチでそういうこと聴くとやっぱり怒りたくなる。というか、怒り通り越して呆れ返るというか悲しい、、、。わざわざ時間を割いている造り手の方々が気の毒です。