『美味しい』の向こうに有るもの

『甘味料』といえば「甘い」ですよね。(当たり前やろー、とツッコミ必至。)
でも、白砂糖・黒砂糖・グラニュー糖・蜂蜜・水飴、、、存在の是非はともかく果ては人工甘味料、いろいろ有ります。それらを「十把一絡げ」に甘いと括るのは簡単ですけれど、皆さんはいずれも「異なる」調味料、もっといえば甘味素材として見てる筈。
ワインのデギュスタシオン(味見)のコメントもそう云う中で育まれてきたもので、「共通認識」として説明する為に出てきました。(2006年8月15日の記事中にある“VIN et X”というサイトの“伝説の美少年”の項ご覧あれ。評判の悪い「教本」(苦笑)でも言い方は異なれど同義の伝え方しています。)
それが度を過ぎると今度は変に「芸術的」表現になってアサッテの方向に行ってしまいがちなのがこの業界の悪い癖。でも、結果オーライで「美味しい」だけでは捉えられない物も有る訳で、科学的な分析だけでは語り尽くせない感性の部分、もっといえば「人の心を揺さぶる」もの(あるいは琴線に触れると言ったらエエのでしょうか)に繋がると思います。ちょっと一面的かもしれませんが、甘味料の例を引き合いに出したのは、そのニュアンスをそれとなく分かるかもしれないと考えたからです。またそういったお話は、お酒に留まらず食べ物全般にいえる事でしょう。
さて、勘の良い方ならピンと来ると思いますが、今回の北海道遠征(8月2日3日)、春先の「鬼蔵巡り(二日目)」をご覧頂ければ分かる様に「日本ワイン」は次なるステップに突入しました。そうすると、今までは「美味しいでしたねぇ〜」「エレガントです」では済まされない外国物との真剣勝負に曝される訳です(もう競争の中に入ってますが)。米国だけで無く豪州・NZ(最近はあまり話題に出なくなったチリとか)新世界物でも最低百年は本格的にワインを嗜んでることを踏まえると、マスコミさんが持て囃してるとは言え我が国はまだまだヒヨッ子です。それがここまで追いつけたのも戦後の発展のお陰でしょう。早回しで映画見て追体験してるようなもんです。
で、かつては『宿命的風土論』だけで片づけられてきたことがもはや越えようとしている。しかし、その一方で『モンドヴィーノ』見たくテクニークで造るワインも有ればあるがままの姿で造るワインも有る。結局ますます訳分からんようになって誰もが混乱するのも当たり前。でも、こうやって北海道から九州まで行って観るとタメで外と勝負出来る物も有る一方で、記事にはしてないけれど今までの枠の中で留まっている物もあります。昔の『スネークマンショウ』じゃないけれど、(素っ頓狂な声で)「いいものはいい・悪いものは悪い」。(笑・あ、このネタは『増殖 ∞』のスネークマンショウからです。)それと、いろんな意味で「ぶれが大きい」のも否めない
まぁいろいろ有りますが、シニカルに裏読みばかりするのでもなく、無邪気に感覚(情緒)あるいは理屈(薀蓄)一辺倒でもない「感性」と「理論」が表裏一体(あえて、感覚(情緒)あるいは理屈(薀蓄)とは書きません!もともと「感性」と「理論」はお互い相補う存在な筈。)となった見方で、『日本のワイン』が『美味しい』の向こうにある何かを真に掴み取れるか?を楽しく・時には厳しく見守って行きたいと共に、出来る限り造り手と飲み手が互いに尊重出来るようなエッセンスをこのサイトで感じてもらえたらと小生誓いを新たにするのでした。