スポーツに留まらず、どのような形で存在感を出していくか?

ただ、そこにあるのではなく、そのあり様を問われた上で(「レゾン・デートル(存在意義)」という難しい言い方しますよね。)となると答えはなかなか出ないです。最近の好例では、これ(↓)。
理事ゼロで弱まる日本の発言力 柔道
その直後に、、、。(ありゃりゃ)
不可解判定で井上、鈴木が敗退 世界柔道
現時点でのボクの見解はというと、、、。
2006年のW杯ショックが大きかったとはいえサッカーなどの(外国で歴史あっても)日本国内で新興系のスポーツ(自転車もそうだし。ラグビー、馴染み度は昔からありますが本質としては何気に此方かと)は、挑む側の方でしょう。そのときは、リスクを負ってでも飛び込むチャレンジ精神とロジカルな組み立てが望まれます。(あったとしても)背負うもの・失うものが相対的に少ない。
逆に、伝統あるものやお家芸的存在(野球、バレーやかつてのスキージャンプetc. え、某国技、何ですかそれ?・苦笑)のスポーツは現状に固執するのでは無く、「旧きに学び、新しくを取り入れ」ないと結局、足元を「すくわれ」ます。(真の「聖域」を守るためには多少の融通も必要。まさに、柔道はその事態に直面している。)
エイヤと二分しているのはひとまず置いとき、ちょっと最後に一言。
どちらの立場にせよ学び・思考を絶やさず、良い意味での「したたかさ」を持つことは大事です
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「柔道じゃねえ」と斉藤監督 場内からもブーイング
(いずれも、「Sankei Web」より)