上から目線と貴族主義だけではこの世の中渡っていけませんよ。(苦笑)

私もこうやって公的な場でワインを中心にスポーツ・時事ネタいろいろ書かしてもらってますが、少なくともワインに関しては「素人だから」を免罪符に言い逃れするのでは無く、自分の足でもって直に触れに行き立場をわきまえつつも大胆に押しかける姿勢は忘れずに持ち続けたいです。で、最近「WIRED VISION」に掲載されていたのが、
Web 2.0(←もう死語?)は我々の文化を殺すのか?(その1)/(その2
という、yomoyomo氏の記事。(文章そのものも面白く読ませて頂きました。)
確かに、立場が対等になりそこへ「インターネット」という黒船が登場して情報をありとあらゆる人が発信できるようになった今、百花繚乱状態で怪しい出所の情報から真摯に集めた情報までごった煮に合わさってる事は否定できません。
で、既存のメディアが何か逆に混沌を収めるアイデアを持ち合わせているのならともかく、プロとしてケッタイな「聖域」化を進め要塞を強固にした結果、誰も寄り付かなくなり空洞化が余計に進んでいるのはあれこれ例を出すまででもなく皆さん体感的に分かるでしょう。
今、ボクがメインのターゲットで書いているワイン・特に日本のワインなんかだと殊更その傾向が強いです。ワインに限らず、お酒全般において造り手の想いを正確に伝えるのは、マスコミや飲食店、酒販店関係の方々が担っているでしょうが、上から目線と貴族主義に拘り一部のワイン(酒類)の存在を煽る所・あるいは安易な「自然派」ブームに乗っかる所・売れ筋だけしか扱わない(現実的に「扱えない」のでは無く、なんか逃避しているような。)所が売る限り、真摯な造り手と本物を求めるお客さんの『こころ』から結局の所「ずれてんのとちゃう(いつぞやの日付のお題になってしまう。苦笑)」と取られても仕方が無い持って行き方になりがち。(別に、説明責任を求めているのとちゃいます。飲み手は素朴に正しい情報とワインそのものが欲しい。造り手は造り手でバイアスのかかってない情報を地道に流して欲しい。シンプルにそれだけのことです。)また、狭い秩序の中で留まるだけで一向に浸透しない。これでは、ごく一部だけの受け狙いの枠に収まっているだけで、真の理解とは程遠いものです。
プロだからこそ、相手の好みを汲み取って偏りの無い様出来る限りトップからボトムまで分け隔てなく丁寧に売る(トップレンジのは「魂」の結晶です。造る人の手塩に掛けた想いが伝わる自慢の子供みたいなもんですよ。お金がそれなりにかかるのは必然的。)ことで、買う方もその想いに心を馳せて、造る人から飲む人までお互いリスペクトを持って接することが出来、正しい愛で方が出来るようになるのではないのでしょうか?(そういった橋渡しが出来たら、「プロ冥利」に尽きますよね。実際にそういった志の高いお店があるのも事実。ちゃんとその評判は口コミ等で伝わっており、多くの心あるお客さんからの温かい目で見守られてます。)そして、買う行為に対しても喜びを見い出せて、商品合わせて二倍の嬉しさ! これなら相手はその商品にゾッコン(笑)。
そういう事は、ホンマに何も頑なに身構えんでも出来ますよ! みなさん。それと、大人(←単純に年齢的なモノでない。精神的な意味で)の「遊び」なんですから正攻法で臨むのが普通でしょう。
(あ、お酒マジで子供に売るモンとちゃいます! 汗)
(附記 - 2007.9.22)
一方で、もし買う人がそういった情報管理のきちんとしている所で買うのなら、それに見合う対価というのを買い手自身の情報管理で支払う、即ち「勉強」が必要になるでしょう。(どうも、勉強というと机に向かうイメージだけが先行しますが、買い物の実践の場というのも子供の時嫌々ながらもオカンに連れられ市場や八百屋・魚屋とカゴ持ちさせられた時の経験が役に立ってます。笑)
書評で取り上げているようなワイン本なんて、昔は「有り得ない」話しだったし、御金の使い方の選択肢を金欠度だけで計る(苦笑)な事も無いしバブリーな使い方もせずに済む。
2006年12月4日記事中の、(日本のワインが好きな方々へ)以下のくだりもお忘れなく〜♪