拠りドコロとは時代の流れを汲み取ってこそ

欧州のワインが難解だと言われる原因にAOC(フランス)・DOC(イタリア)・QbA(ドイツ)といった制度の存在といわれ久しいですが、そんな風潮に火に油を注ぐが如くのこんな記事が、
AOCワイン、3本に1本は品質に偽り(「ドリンク&ワイン : YOMIURI ONLINE」より)
INAOの硬直化や実効性への疑問も指摘される一方で、まずはこの団体の言うことも信憑性があるかも含め見ないといけませんが、今の時点できちんと話出来るのは下記の通り、、、。
そもそも、日本国内外問わず誤解してる人多いなぁと思うのが、上記制度はあくまで『原産地呼称統制』であって、そのステータスの裏づけに品質等があります。(決して、原産地の裏付けでないことに注意。科学的分析で「この葡萄はこの畑のこの畝のこの樹」なんて特定できるわけ無いやろう! 苦笑)
昔は、技術がそんなに発達して無かったので、畑と造り手(シャトーやドメーヌがそう)のネームバリューが即品質に繋がってました。すなわち、ネームバリューが有る所はヒエラルキーの頂点でかつ経済力があったので、立地条件の良い畑を所有出来ました。だから、ネームバリューに頼っていたのです。そして後々の「テロワール」の思想を後押しするものになったのです。
やがて、技術の発達により銘醸地が必ずしも適地では無いと解明され、人的資源の流動化と共に新世界との「仁義なき戦い」に入るのですが、結局のところいくら良い機械・設備、ぱっと見に優れた土地でもそれを生かすか殺すかはそこに携わる人次第。逆に叡智と情熱があれば少しの悪条件なら跳ね返せるでしょう。そういう状況を踏まえ、『原産地呼称統制』のあり方を見直す時期に来ているのは間違い無いでしょう。
まぁ、素朴に考えると技術オリエンテッティッドでも無く、文化におんぶに抱っこでも無い! 全ての事象の積み重ねこそが、そのワインを単なる飲み物でない存在として輝かせる筈で、時代を読みつつしっかり根幹さえブレ無ければ変に悲観する必要も無い。
この文章を読んでいただければ、「日本ワインの可能性」に関しても自明です。→答えはって?そんな野暮なこと聴かんでも(笑)。「ある」に決まってますがなぁ〜♪
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