外国市場での甲州ワインの可能性は?

明日は毎度おなじみの「ボージョレ・ヌーヴォー」解禁日。例によって航空便で空港へ入荷したと報道されてましたが、今年はどれぐらい輸入されたのでしょうか? 
ちなみに、日本は「WINE21(フォルスター社のワイン総合ニュースサイト)」の記事(2007年11月1日付)に書かれている様に一番のお得意様。恐ろしいぐらい圧倒的な大差を二位以下につけているだけでなく、ロゼのもよこせとリクエストしたぐらい。今一つパッとしない世の中ですが、これだけは相変わらず何時もの狂騒曲が奏でられる様です。(苦笑)
さて、ここまでヌーヴォーが受け入れられているとは言え、日本ではまだまだワインは日常のお酒として嗜まれてるのは言い難いのが真実。ならば、逆に日本のワインを外国へと輸出し活路を見いだそうとするのは当然有り得る動きでしょう。果たして如何に?と言う訳で、山梨でマスター・オブ・ワインの講師を招き、講演が行われたようです。
講演・甲州種ワインの可能性 英国のマスター・オブ・ワイン リン・シェリフさん
(「山梨日日新聞」WEB版より)
で、小生なりに記事と併せ内容を検証してみました。
まず、『世界の流れ』について見てみましょう。

世界最大市場の英国では「フルーティーでアルコール度数が低く、気軽に飲むことのできるスタイルのワインが人気」で、白ワインの消費が伸びている。

確かに、健康志向というのもあるかもしれませんが、ワインそのものだけを味わうのでは無く、日常の・あるいはレストランでもカジュアルな雰囲気でといった所で食事と共に嗜むといった『原点回帰』の流れがあるのかもしれません。一頃の異様に拡がったプレミアムなワインを持て囃す様な動きはごくごく狭ーいブルジョワさんの領域だけに収縮しつつあり、実際は大衆化が進んでいると同時に「日常の一部」と化していることから、ワインが絶対的な存在ではない事も念頭に置いとかなくてはいけないと思います。(そうでないと、欧州での『ワイン離れ』の現実と乖離してしまう。)

シェリフさんは「日本のワインを海外に持っていくときも価格を安くしすぎず、品質に合った価格設定をする必要がある」と強調し、専門的なワインショップにしぼることが、英国市場で甲州種ワインが成功するポイントになることを説明した。

ここは最近の「食の問題」とも絡んできますが、安さを強調し過ぎる余りに品質が犠牲になってくるのは持ってのほかです。然るべき対価を持って頂くのはごく当然の事だと思います。ショップも絞って手を拡げ過ぎないようにするのも理に適っています。
次に、『北欧の消費動向』について。

英国同様、ワイン生産国ではないノルウェースウェーデンでもワインの消費は伸びている。十年前は赤ワインが主流だったが、今は白ワインに移行。特にノルウェーではアジア料理店が増えていて、それに伴って白ワインの消費量が伸びていると考えられている。「裕福な国なので、今後甲州種ワインにとって面白い市場になるだろう」 

なるほど、これは面白いですね。しかも、近隣の海洋では魚介類が豊富で料理でも良く素材に用いられるお国なので結構受け入れられるかもしれません。

シェリフさんは「ソーヴィニヨン・ブランに由来した、軽く、アルコール度数が低くて、気軽に飲めるタイプのワインであることが評価を受けている」と解説。「オフトレードでのシェアはたった1・9%だが、市場の中では評価できるポジションを獲得している」と紹介した。

ここは、気をつけないといけないと思います。文面通りだと、「きいろ香」的な甲州ワインがエエやん、と結論を落とし込む所に陥る可能性大。小生が持論で唱えているように、あくまでも「特別チューン」な薫りの引き出し方なのです。そこを履き違えないようにして欲しいですね。
どういった甲州ワインが本筋なのか、コンセンサスが得られていない現状をしかと肝に銘じておくべきです。
で、最後に『山梨のビジョン』も見た上でまとめを、、、。
『山梨のビジョン』の項では、今まで小生が指摘したことが端的に記されています。シェリフさんが仰るのはごもっともだと思います。具体的な計画についてはまだ議論の余地がありますが、(1)〜(3)の指針については山梨がワイン産地として矜持を打ち出して行くためにワイン産業に関わる人々は勿論の事、農家・行政・販売、そして飲み手も含めかつての利害関係を抜きにした議論を自らの手でしなくてならない事を示唆してます。
これは、会社で聴いた話なのですが、日本でベンチャービジネスを立ち上げようとしても横並びを重視する国民性からか余り盛んにならないのは先刻ご承知だと思います。そこで、気合いの入った起業家は「ならばアメリカで!」と照準を変えて活路を見いだそうとするのですが、アメリカのベンチャーキャピタル曰く、
「日本で成功しているかどうかの実績がよく分からないのに、アメリカで通用するかどうか評価のしようが無い。」
といった意味の様な事を言われ、結局は断念せざるを得なく、夢はかなく消えて行くと言うのが現実だそうです。すなわち、日本のベンチャーグローバル・スタンダードの市場と、それとは全く異なる異なる性格の日本市場と両方向作戦と取らないといけないがために身も心も多大な消耗を強いられるのです。
言いたいのは、グローバル・スタンダードに何もかも合わせるのでは無く和を重んじる日本社会固有の良さを尊重しつつも、悪しき面であるよく分からない慣習に拘ったり変に芽を摘み取る所まではして欲しくないと言う事です。山梨のワインは正直そういった所で岐路に立たされていると思いますし、国内でも他の産地の猛追を受けているのはそういった所にあるのだと率直に思います。
厳しい時勢の中、今地方は自律を託されています。しかし、殺伐とした状況故に他を却って拒絶するのでは、孤独な戦いを強いられやがて重い荷だけが残されたと言う洒落にならない事になるかもしれません。
建設的な議論を図るためにも関係諸氏の思惑を越えた連携と、各地のワイン産地と切磋琢磨することを厭わない姿勢を日本ワインの一大産地だからこそ率先して示して欲しい。
それが山梨へ送る小生の素朴な想いと熱いエールです。