技術と制度は人の営みを支えるためにあるのでは?

理系で技術職の端くれのボクとしては、やっている事が一寸でも世の中の何か役にような事に繋がればというのが心の片隅にあります。(「無い」という人はおらん!と思いますよ。いや、思いたい。)
で、昨日の記事二つは、『文化と経済の両立』をテーマというのが根底にあると自分で読み返して思ったのですが、今日のは『技術と制度は人の営みにどない役に立っとるんや?』というお題目で、、、。
そうだ、「Culture First」だ(「ITmedia +D LifeStyle」より)
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0801/21/news003.html
この、小寺信良氏によるコラムでは、「ダビング10」や「B-CASカード」に垣間見える問題点から、デジタル放送やインターネットによる映像配信において、コンテンツを制作する側が単に営利だけで無く正当な「評価」を、そしてコンテンツを観る側が単に利便性だけで無く「楽しみ」をそれぞれ享受できるため、どうあるべきかを突っ込んで著述しています。
確かに、映画監督とかミュージシャン等のアーティスト側からしたら、作品そのものの評価は勿論の事ですが、経済的にもチャンとした身入りが必要なのはごくごく自然な事です。ただ、アーティストも、「自分の作品」を出来るだけ広く知ってもらう為にも閉じたフォーマットの中では無く少しでもオープンにしたいでしょう。
(「分かる人だけに分かってもらえればエエ」という姿勢の人もいるでしょうが、それはそれで良しとして、やはり小生が2007年10月17日の記事で触れたように自身の情動の発露というのが、人間だれしも心の奥底にあるでしょう。要するに、「わたしの心を分かってくれ!」というコミュニケーションの原点です。)
一方、観る側聴く側も少しでも安くしかも便利に扱えるようにしたいのも人情。今のDVD・HDDレコーダーの仕組みなんか機械の扱いに疎い人にとっては正直苦痛やと思いますよ。特に、年配の人はビデオデッキならテープ入れて録画ボタン押したら「ハイOK!」だったのを知ってるだけに、、、。それを知ってか知らずか、メーカー側は使い勝手に配慮すればいいのにわざわざ凝った機能にして余計難解にした上に、さらに足枷(この映像配信の場合やと、「ダビング10」や「B-CASカード」が足枷です。)つけようというのは好ましいとは正直思えないです。
(凝った機能必要な人は、パソコン使いますよ。そこで、編集等色々と自分の望む形に再加工するでしょう。そのためにPCはあるというのがボクの考えで、そういう意味でもコンテンツの扱いの自由度は有る程度保つべきでしょう。)
以上、双方の立場は違えども、お互い求めているのは行き着く所同じなはず。それに、昨日の二つの記事のもう一つのテーマである『真っ当な売り物には正当な対価を支払う』といった原理原則をチャンと守るべきやという、ごく当たり前の事に繋がるのでは?と考えてます。なんたって、『お金は天下の回り物』、経済学やないですけどお金は回してナンボのものですから。世の中の多くの人々が経済的メリットもちゃんと享受できるようにしないと、、、。そういう意味で、技術と制度はそういった働きを下支えするものである事が本筋でしょう。
(大体、サッカーでもボール動かしてナンボやないですか! そやないと、ゴールできません。あ、脱線してスミマセン。)
一部の人々が美味しい所横からかすめ取ろうと思っても、もういろんな報道での通りいずれ底が割れて後で大損するのがオチです。皆の知らない所で、訳の分からない仕組みをこしらえる事に腐心するよりも、もうちょっと他のエエ方向にエネルギー使えよ!と突っ込み入れたくなります。(苦笑)
そして、我々自身も、情報の洪水の中チャンと正しい情報を選別し、出来る事と出来ない事を自分で見極めるのも生きて行く上で大事やと改めて痛感します。