【小連載】本当に「日本のワイン」が認知されるためには、、、?(最終回・長編です)

で、そんな経済事情にめげるのでは無く、荒波を上手くかわしつつもたくましく日本のワイナリーが育つことを願いつつ、今回の小連載の締めへと参りたいと思います。(締め故に長文ですが、お許しを。文末にお薦め本も紹介しています。ココをクリック!)
(前々回の -その1- はこちら、前回の -その2- はこちらです。)
さて、今回のまとめですが、『日本でのワイン造りの今後やいかに?』というお題で、これからの展望を睨みつつも、飲み手がどう向き合えば良いかを中心に考えて行きます。
よく欧州でのワイン造りで『テロワール』という概念がよく引き合いに出されているというのは、ワインをかじった方々でしたらご存知でしょうが、テロワールが果たして、「ブドウやワインに反映される風土」であるかと言うと、そこには疑問が働きます。
勘違いされているのが、『テロワール=約束の地』、即ちその土地であれば絶対に美味しいワインが出来るという論理の飛躍です。そして、絶対化されて半ば信仰と化すというおかしな風潮も見受けられます。
たとえば、世界一高いワインの『ロマネ・コンティ(小生は頂いたことはありません。頂けるものなら頂きたいぐらいです。笑)』が本当に美味しいかどうかは「値段が高いから」(あるいは「優れた『テロワール』だから」)と言う理由を掲げるかと思いますが、実際には嗜好品ですから人によって受け止め方は千差万別ですし、折角の高いワインもぞんざいに扱われしかもミスマッチな場で頂いたら立ち所に不味くなるでしょう。
反対に、同じブドウ品種で無名ながらも手塩に造られたワイナリーさんのをきちんとしたコンディションで然るべき料理と併せて頂ければ、「おお、これは凄い!」となるでしょう。
以上のは極端な例えですが、美味しいか不味いかはその人それぞれの好み(体調や周りの雰囲気も含め)に拠るもので、絶対的なものでないと言うことです。そして、このことは『テロワール』にも当てはまります。つまり、通説で「ここの土地は何とか質の土で、雨が降っても水はけがよく、、、。」というように一面だけで捉えても、造る人がブドウの世話をサボれば、あるいはよいブドウでも醸造でまかり間違えばそこでおしまいで水泡に帰してしまうのです。
逆に、従来の説では一見ブドウ栽培に適してないような所でも、よく調べると実際は栽培可能で人の手をかけることでよいブドウが栽培出来、しっかりと手間をかけて醸し出すことでよいワインが出来ます。従って、気候・土壌の物理的組成といった地理的な栽培条件も要素の内ですが、人的要素もあって初めて成り立つものです。ただ、勘違いしてはいけないのが「だったら、じゃあ何処でもいいのか?」という短絡的な発想です。山奥にいい所があっても、電気と水、そして交通の便が無ければブドウやワインを造ることも、売るために運ぶことも出来ません。あるいは、水田の跡地のような高湿地帯にブドウが植えられるかと言えば適地以前の問題です。(ちなみに、カリフォルニアの著名な「CALERA WINE COMPANY」が人工衛星にて最適な土地を探索したと巷でよく言われるのは、ガセネタのようです。*1 苦笑)
そうすると、日本でのワイナリーを造る意義は何なのかと聴かれれば、そこは単純に「自分の目の届くところで好きなワインをこしらえたい」という至極単純な発想になります。(高尚な理由があれども、最終的にはそんな発想に集約されるでしょう。)それは、海外の古くからのワイン産地でも同様で、基本はその土地でワインを造って消費し、生計を立てるために商売として売るようになったのです。(現代では流通の発達でその販路が国内外と広くなったのであり、よって海外のを頂くことが出来る様になったのです。)ワイン造りが連綿と続いて来たのも財産としての価値をそこに見いだしたからで、最初からその土地でワインを造る!と宣言したからでは無く、財を成すと云う見込みがあったからでしょう。(そういう見込みは、ブドウを真摯に栽培している人だけが嗅ぎつけることが出来る、と小生は考えています。そして、財産として大切にするからこそネームバリューだけで無い『地のもの』としての価値がクローズアップされるのです。)そして、ワインはあくまで「嗜好品」であり、造る本人が好きでなければ(跡継ぎ・新興に関わらず)本当に務まらない仕事だと思います。ただ、「仕事に愛着を持って望める」かはワイン造りに限らずいろんな職業にも当てはまることでしょう。*2
人が生業を営むにあたり、様々な心の動きや周りの状況によって人生が左右されるので本当に先がどうなるかは分かりません。しかし、基本的に「生きる」ことをどのように進めていくかは、不確定な要素の中から自分自身の最適解を見つけて行くことであり、ワイン造りだけが特別なことではありません。ただ、特殊に見えるのは、ブドウ造りが永年作物故に最初に実らせるまでには時間がかかりまた一回実り始めればおいそれとは引き下がれないと言う要素が大きく占めるからです。*3そういう点は、考慮をしておくべきでしょう。 それと、世話をかけて真っ当に造ってこそであり、「技術」と「哲学」という二元論では一概に語れません。仮に、テクノロジーの塊のワインで美味しくてもそれが資源とコストを浪費するのであれば無駄遣いですし*4、一方で「有機農法」と称して化学肥料や農薬では無く堆肥や無害だとされる防虫に効く薬剤をを山ほど使うことで却って汚染を引き起こしていたり人的資源を疲弊させる様では元も子も無くなります。 *5 結局、ブドウとワインを造るのは、「技術」とか「哲学」では無くそれに携わる人自身ですから、、、。(よく、「テクニカルワイン」とかそれに対する概念として「自然派」とか言いますが、「技術」と「哲学」の議論といった枝葉末節に拘るよりも大切なことがあるのでは?と常々小生は感じてます。あくまでも、この二つは「手段」です!)
今、社会のあり方が大きく変わろうとしており、実際小生の過去記事(2008年1月10日付)でも書きましたように「時代によってワイナリーの有り様が変わりつつある」のです。実際、海外に限らず日本でもかような新しい動きが出来つつあります。
そうした状況も併せて今まで述べたことを踏まえて考えると、実際にワインを頂くに当たって迂闊(うかつ)に飲み手や売り手・サーブする人が品評すると云うことは、それだけ責任感を伴うことになります。それは、日常の買い物において品定めをしつつも自身の選択肢で選んでいくと言うことに繋がり、審美眼を養うことに成ります。飲む際に(あるいは買う際に)消費者が主役であることは間違いありませんが、そこを勘違いして「責任感」を忘れてしまい大威張りすることは、知らず知らずの内に「裸の王様」になっているのです。(苦笑)
楽しんで飲む一時もあれば、うーんと頭を捻りながらも飲むこと(職業柄、ワインに携わる人はそうなります。)もあります。しかし、大事なのは愛情を持って頂くこと、そして、最初は単なる物見友山でワインに触れた人も、入れ込んで長く飲んでる人も、そういった基本を心の片隅にでも置いておけば、造る人も売る人も飲む人もまた一味違う気持ちでワインに接することが出来、絶対的かつ観念論的*6なものでは無い本当の意味での『美味しさ』にふと出会える時が自然とやって来るでしょう。
そうしたことを踏まえ、真剣にワイン造りに携わる人々の負担を軽くし、より多くの心ある人に味わってもらうためにも

  1. お酒は税金の徴収源では無く、嗜好品であると云うこと。
  2. 日本において酒税でお酒を管理する現状のやり方では、個人事業主にかかる税金や法人税に加えて造り手に余計な負荷が掛っています。財務省の資料によれば、平成19年度で徴収している税目の内訳に占める酒税の割合はたったの1.6%です! そのためだけに労力や時間を実際割いています。この現状だけでも、何とかして欲しいものです。)
  3. ワインを飲むのに、必ずしも勉強しなければいけない訳では無いが、少なくとも造り手の心を慮る必要はあります。(逆に、手を抜いて造っている所のは、買わなければ良いだけの話です。)
  4. 目利きのためには、有る程度痛い目にもあった方が良い。(それを踏まえた上で、頭を使うに越したことはないです。イコールそれが本当の意味での「勉強」でしょう。造り手さんが自然相手にしていることを想えば、飲み手の失敗なんて可愛いもんです。)

を飲み手は憶えておいても損は無いでしょう。(それは、清酒本格焼酎地ビールといった「日本のお酒」に限らず、普遍的な存在としての「お酒」全般に言えることです。)
小連載は、これにて終了です。最後に、お勧め本を!



○『ブルゴーニュ ワイン村で見つけた世界で一番贅沢な生活』(ビーズ千砂:著)
ブルゴーニュ ワイン村で見つけた世界で一番贅沢な生活本の装丁を見て、「あぁ、夢見た素敵なロハスな生活(苦笑)」と勘違いしてはいけません。中身は全く「硬派」! サヴィニー・レ・ボーヌの銘ドメーヌを預かるマダムとして、時には経営者としての目から見た、一農家&醸造場の日常をありのままに(厳しい面も垣間見せつつ)さらりと描いています。何気にフランスの時事問題や経済問題にも触れており、単なる「ワイナリーの日常」本ではありません。ワインの本場だからフランスが特別良い所ではないことを知るのに最適な一冊でもあります。

○『等身大のボルドーワイン』(安蔵光弘:著)
等身大のボルドーワイン前掲の書籍と共に、フランスが特別良い所ではないことを知るのに最適なもう一冊。大手ワインメーカーより武者修行のためにフランス・ボルドーへ渡った著者が記した現地のありのままの姿。決して名醸地が「約束の地」ではなく、歴史の積み重ねとそこで真摯に携わる人々が存在したからこそ成立していると痛感させられます。
(2020年11月28日追記:タイトルが替わった改訂版が出版されています。)
ボルドーでワインを造ってわかったこと (日本ワインの戦略のために)


○『ワインづくりの思想』(麻井宇介(浅井昭吾):著)
ワインづくりの思想この本に関しては多くを語る必要はありません。日本のワイン・いや世界のワインを語る上で必携の書です。この本を読み切れば、「『技術』とか『哲学』を超えた所にある!」と言うことが分かってもらえると思います。

2006年6月29日記事でも紹介しています。)

○『日本の食と農・危機の本質』(神門善久:著)
日本の食と農・危機の本質日本の農業が直面している現実をつぶさに見つめ、そこに対して真摯に考え具体的な「有るべき道」を考察した名著。圧倒的な知識と丹念なフィールドワークの結晶と言えるでしょう。
2008年2月6日記事でも紹介しています。)

*1:仮に、人工衛星にてワイン用ブドウ栽培に適した土地を探すとなると、本当にコストに見合うかは疑問です。当主のJosh Jensen本人がリンク先のBlog(「カレラワイン会 w/Josh Jensen @ I love Calwine!」より)で語ってるように、車飛ばして自分の足で探した方がよっぽど早いし安上がりです。もっとも、リモートセンシングによる鉱物資源探索というのはありますけど、最終的には現地調査ならびにサンプル収集が必要です。

*2:しかめっ面して造ったワイン、いや農産物・工業品、ないしは生活必需品・嗜好品問わずその商品が良いものかは疑問です。嫌々造らされて欠陥品になるのがオチです。

*3:小布施ワイナリーさんのWebページ、「ワインショップ、酒販店、百貨店の皆様へ」のコーナー参照。

*4:2008年1月9日の小生記事で紹介している書籍では「稲作のエネルギー収支」というコラムで、米造りを例に取り現代の農業では必要以上に石油資源を使い投入するエネルギーが年代を経る毎に増えていっているという皮肉なお話がデーター入りで掲載されてます。

*5:神門善久著『日本の食と農・危機の本質』(NTT出版:刊)や、松永和紀著『踊る「食の安全」〜農薬から見える日本の食卓』(家の光協会:刊)などにそうした事例が記されています。

*6:感情は大事なのですが、盲目的に受け入れてしまう時があります。そうした時に本能だけで分別が無いと身持ちが成り立たなくなり本末転倒です。後、「固定『観念』」に捉われてしまうとか。(苦笑)