『失われた10年』が“20年”とならないように、、、。

先日の日記で政治のドタバタ劇についてさくっと触れましたが、自国の事例に学ばなくてはならない筈なのに、「他山の石」どころか他人事、あるいは誤った認識に陥るのはお恥ずかしい限りです。(某国大統領候補のオバちゃんでさえそうですから。話脱線しますが、見苦しい様さらさんとうまい事撤退したらエエのに。)
日本経済の壮大な歴史実験から他国が学べること(「極東ブログ」より)
一回味わった「うまみ」が忘れられずその恩恵(それも、思いっきり他者を排除した独善的なもの。)にしがみつくのではなく、悪いところにも正直に責任もって向き合うことが高位の方々には求められることだし、また「お上」のことを絶対視するのではなくよい意味で自律していく(もっとも、「自律」に躍起になっては本末転倒。苦笑)のも我々に求められてるとつくづく思うことしきり、、、。
○関連記事
生きるための経済学―〈選択の自由〉からの脱却(「池田信夫 blog」より)
昔、流行ったギャグ(というか、うちのオトンの口癖だった。そない言うてよく怒られてた。笑)で
「義務教育やありませんからね。ほっときますよ!」
というのがありましたが、生きるために無法に陥るのではなく、かといって杓子定規な理屈ばかり追い求めるばかりに路頭に迷うのではなく、最低限の秩序を保った上で自身の幸福を希求するのが自然な人の姿やろうと、、、。
↑の言葉には、よ〜く考えるともの凄い薀蓄が含まれてます。
(追記)
最近米国で起った金融危機の対応を総括している、NHKの「クローズアップ現代」を眺めながら夕御飯頂いてますが、同じドタバタ劇でも問答無用の迅速な動きが改めて「腐っても鯛」ならぬ「腐っても米国」と率直に思いました。
とはいえ、貿易の基軸通貨次第でこれからどうなって行くかも、気になります。