「さじ加減」は重要

「なんでもマニュアル、なんでも規制」じゃ融通・機転利かないのも当たり前ですが、それ以前の問題となると頭が痛いです、、、。
憲法の意味は実感されているか?〜味見なしの料理は不味くて普通
日経ビジネス「NB Online・伊東 乾の『常識の源流探訪』」より)
そんな料理は食べとうない!と云うのはさて置き、根本的な「基礎」を分かっていないと、上に立つ「建物」はすぐぐらつきます。そのためのさじ加減をいちいち細かいところまで指示しなくてはならない様では恥ずかしいでしょう。(料理作るのが好きなボクには、恐ろしい光景が描かれてた、、、。)
そのためには、机の上にしがみついているだけでは分からない実務・現状を知ることが大切だと思い知らされると同時に、そういうのは自身が求めていかない限り知り得ない。
最近の『臭いものにフタをしても、何一つ解決しない』(「ITmedia +D LifeStyle」、小寺信良氏コラムより)などで取り上げられている「青少年のネット規制に関する法案」を出そうとしている動きなんかもそうで、「さじ加減」「常識」をいちいち指示しないようでは広い目で物事を見れなくなるし、純粋培養な人間なんておったら気色悪いです。(汗・それと、「さじ加減」「常識」をいちいち指示しようとする方向に持って行ったり、あるいはネットにだけ「さじ加減」「常識」の指示を求めるのも本末転倒。)
最低限のルールである憲法(リンク先は、「総務省・法令データ提供システム」掲載の全文)に立ち返って、第12条と第21条を読んで欲しいものです。(苦笑)
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だから「袖の下」が好まれるんです。(小生2008年4月10日記事)
木を見て森を見ず(小生2008年4月5日記事→「この世には、『悪』もあれば『善』もある。そして、人の心の中にも」あるんですよ。)