足立美術館にて横山大観の「言葉の重み」を噛みしめる

「金儲け、社会還元、道楽」、全てを極めた足立全康が私財を投げ打って創設した足立美術館をワイナリー見学に先立って立ち寄りました。
限りなく日本の様式美を追求した庭園の荘厳さはさることながら、本当に自ら心打たれた日本画の数々を散逸してはなるまいと収集し、それを惜しげも無く一般の人々が目に出来るようにと美術館を創設し開放したその精神には驚かされたのは勿論ですが、小生が感銘したのは、展示物である横山大観の絵画の解説の脇にあった『大観画談(第十章・創造の世界)』の一節です。ここに、その一節を引用します。

筆をもつて絵を習ふことはさう大騒ぎしなくてもよいのです。それよりも人物をつくることが大事で、それを土台にしないことにはいくらやつても駄目なことです。
人間が出来てはじめて絵が出来る。それには人物の養成といふことが第一で、先づ人間をつくらなければなりません。歌もわかる、詩もわかる、宗教もわかる、宗教は自分の心の安住の地ですから大事なものですし、哲学も知ってゐて、さうして茲に初めて世界的の人間らしき人間が出来て、今度は世界的の絵が出来るといふわけです。世界人になつて、初めてその人の絵が世界を包含するものになると思ひます。・・・作家はどこまでも想像して行くことが貴いので、人の真似はいけません。自分の今日の作品と、明日のそれとは変つてゐてもよいのです。またその変化のない人は駄目です。只一つ我は日本人であるといふ誇りをどこまでも堅持して貫ひたい。
(旧仮名遣いはそのまま)

この一文は、何事にも通じる本当に生きる上での訓示です。難しく、一朝一夕といきませんが、自分もかくありたいと心打たれました。