日本の「紅茶」と日本の「ワイン」

どちらも、国内ではマイナーな立場の両者。(元は「外国発」の農産物ですから。)原料を生産する側の農家は日本の農の現状を考えると、なおさら厳しい状況に置かれがちなのは容易に想像がつくでしょう。
品物は違えども共に似たような立場にあるゆえに、「紅茶」の生産現場と「ワイン」の生産現場には、共通の悩みや日本の農業が抱える問題点の縮図が端的に表れているようです。
安全美味、国産紅茶に見る古くて新しい道 (2008年9月24日記事)
「いくら農家が正直なものを作っても、需要がなければ続きません」 (2008年10月1日記事)
(いずれも、「日経ビジネス オンライン」より)
「水車むら農園」(静岡・藤枝市)のルポ記事ですが、日本の紅茶生産の現状を知る上では貴重な記事です。(まさに、日本の「ワイン用ブドウ栽培」も似たような問題を抱えています。)
記事で残念なところは、「無農薬栽培」のところが必要以上に強調されすぎであるところです。確かに、過剰な化学肥料による施肥・農薬依存は問題ですが、記事の内容が「無農薬」というキャッチーなフレーズに踊らされている感が無きにしもあらずかなと。農薬に関しては巷でいろいろ騒がれていますが、化学を学んだ小生としては正しい理解のもとで世間の皆さんは再認識して頂きたいです。
(参考記事)
(書評)『踊る「食の安全」〜農薬から見える日本の食卓』を読んで
(小生2006年7月21日記事)
それはさて置き、本題の「日経ビジネス オンライン」の記事、

複雑な社会生活の中において心身の不具合を、すべて食べ物のせいにするわけにはいかない。しかし“消費者のニーズ”という発信者不明のニーズによって市場で主流を占めるようになったもの──農薬や化学肥料をたっぷり含んだ農産物、添加物だらけの加工食品、そしてそれらを必要とする社会システム自体が、“感謝して味わって食べる”という人生の幸せの大きな部分を脅かしているのも事実だ。
「いくら農家が正直なものを作っても、需要がなければ続きません」 (2008年10月1日記事)より

に書かれている実体の無い「消費者意識」が必要以上に幅を利かせていることや、農産物の流通機構の問題点といった、(一部とはいえ)『日本の農業が抱える問題点の縮図』を指摘されている点については評価してます。
この記事を読んで思い出したのが、以前NHKで放映されていた「埼玉 入間市の手揉みのお茶」。丹精込めて造られた真っ当なものは農産物・工業製品問わず、掃いて捨てるように消費される(あるいはその真逆で変に高級化してしまう)のではなく、日常生活の中でさりげなく長きに渡って愛されて行って欲しいですね。