人間・この無力で悲しい存在であるもの、、、。

20世紀における現代思想の巨人、クロード・レヴィ=ストロースの講義を要約した訳書の書評を綴った記事を目にしたのですが、思わず惹かれたのが下記の文章です。

全体として描かれているのは、冷たい社会の人々が謎に満ちた世界を理解し、社会の存在する意味を見出す努力の跡である。圧倒的に巨大な自然の闇の中で微小な存在でしかない人間が、そのささやかな秩序を守るためにつむいできた神話や親族構造が、詳細に分析される。それを通じて見えてくるのは、荒々しく不確実な自然の中で、人間の築いた文化がいかに無力で壊れやすいものかということだ。
しかし人類は、いつからかこういう静的な秩序を守るのをやめ、自然を征服して不確実性をなくすテクノロジーを開発するようになった。このようにつねに変化し膨張し続ける熱い社会は、人類の恐れてきた死や病の闇を何年か先送りすることには成功したが、それをなくすことはできない。そして彼らも結局は、生きる目的を見出せないまま、自然に帰るのである。
(「池田信夫Blog」、2009年6月28日記事『パロール・ドネ』より)

さて、かくいう人間はテクノロジーを産み出すのに躍起になるのも、「生きる目的」に意義を見いだそうと躍起になっているのと同じ様に思えます。そして、「生きる目的」に意義を見いだそうと躍起になっている人は、どこかの黒仮面かぶったサイボーグ *1のように、目の前の現実だけに囚われて深く思慮して行動せず、結果として破滅に導くことが往々にしてあります。
もちろん、思慮が過ぎて深みに嵌ったり、また深読みが決して正しい結果に繋がらないのは否めません。ただ、早急に感情だけで結論を導くことが危険なのは、過去の歴史を俯瞰すると見えて来ます。*2 そうした過去の例も踏まえて、共通するのものは群集心理による衝動に駆られたマシーンの如く人間が動いていることで、「個が自らを考える事を放棄している」と云って差し支えないでしょう。
「個が自らを考える事」は自分自身と素直に対峙しなければならないことから、ある意味自らの嫌な側面やネガティブな感情(それに加え、邪念や妄想も。笑)にも目を向けないといけません。そして、周囲の現実を自分なりの視点で出来る限り客観的に捉えることが大切なのでは? ところが、最近のマスコミの報道等を見ていると、そうした情報を事実に即して伝えなければならないのに、あらかじめバイアスがかかっていることが多い。事実を淡々と、正確に伝えることが義務なのに、、、。
それはさて置き、テクノロジーを産み出した人間がテクノロジーに振り回されているのはまぎれも無い事実で、本当にケッタイな話です。でも、テクノロジーが無いと人間は生きて行けないのが現実、あらゆる産業(農業も含めて)が大なり小なりそうして成り立っています。*3人類の歴史は、「生きる意義」を追い求める事とテクノロジーを産み出す事だけに躍起になってましたが、これからは先日の記事では無いけれど、弱さや悲しみも認めつつ「そうした事(=「生きる意義」とテクノロジーとうまく付き合う」ことが必要だと思います。*4 *5 *6


そうした人が、本当の“未来人”なのかもしれません。

*1:「生きる目的」に意義を見いだそうとしているだけでなく、愛する人を救うために「死や病の闇」を征服しようとも企てている。

*2:例えば、2.26事件の青年将校やかつての学生運動、あるいはかつての帝政ロシアからソ連への社会主義革命やフランス革命での“ギロチン刑”等が挙げられます。

*3:『自然農法』と称していても観察と手入れは欠かせない。単なる「ほったらかし」では収穫出来ません。

*4:テクノロジーに関しては、上手な付き合い方のお手本の一例がコレだ!と小生は真っ先に挙げたい。

*5:『霊的なヴィジョン』に感銘を受けたのを具体的な現実として「科学的に」説明しよう(この時点で、矛盾をきたしているが、、、。)としたのがかのルドルフ・シュタイナーですが、彼の人生が決して幸福では無かったと『ルドルフ・シュタイナー〜その人物とヴィジョン(河出文庫)』を読んで思いました。(この文庫本の219〜222ページに掲載されているカフカによる批判の一節は客観的に痛い所を突いており、強烈なカウンターパンチである。あと、Wikipediaの「批判」の項に書かれているように選民思想的な面も否めない。)とある記事がきっかけ(この記事を書きたかったもう一つの発端)で、彼の業績を客観的に取り上げている書籍を探したら、現在では絶版になっている上記の本をAmazonマーケットプレイスにて購入しました。彼の思想に触れるには、『シュタイナー入門(ちくま新書)』がありますが、著者の思い入れが介入しているので、前者がオススメ。「ビオディナミ」とか「ビオロジー」を盲目的に受け入れる人は、前者をよく読んで時代背景や哲学的知識を良く理解して頭を冷やす方が無難です。どうもワイン界の“自然派原理主義者は、全員がそうではないかもしれないけれど大なり小なりシュタイナーの理論を墓場から無理矢理持ち出してコマーシャリスティックに都合の良い所だけ利用しているとしか思えません。

*6:シュタイナー読むなら、小生はハイエク(興味深いことに、共に出自はオーストリアです。ハイエクの場合はウィトゲンシュタインとの関連が深い。)読む方が腑に落ちます。例えば、この書籍を読むのも一考かと。
ハイエク・知識社会の自由主義ハイエク・知識社会の自由主義(PHP新書)
人智が全てを明らかにし、合理主義によって全てが説明出来ることに対する懐疑を示したハイエクの思想は、ある意味「荒々しく不確実な自然の中で、人間の築いた文化がいかに無力で壊れやすいもの」というレヴィ=ストロースの思想に通じる(もちろん、アプローチは異なるが)のではと感じております。