「日本のワインづくりの父」川上善兵衛の功績を今に伝え、次代に引き継ぐ。〜岩の原葡萄園訪問

マスカット・べーリーA始め、ブラック・クイーン、べーリー・アリカントA、ローズ・シオター、そしてレッド・ミルレンニューム、、、。これらは全て川上善兵衛翁が産み出した交雑(Hybrid)*1品種です。日本のワインを語る上で絶対に外せない偉人として真っ先に上がるのが善兵衛翁。その故郷の地・上越市高士地区に佇むワイナリーが、私財を投げ打ち自ら開園を果たした“岩の原葡萄園”です。
日本ワインを取り上げている当Blogでは取り上げねばならぬワイナリーでしたが、ここに来て機会が訪れ、念願が叶いようやく足を運ぶ事が出来ました。今回の訪問記では、その功績を伝える施設や数々の建造物の紹介を主体に葡萄園を案内形式でお伝えします。
川上善兵衛資料館
葡萄園の向かい側に建てられている「高士地区多目的研修センター」内に資料館が併設されています。
善兵衛翁の功績は日本の気候・風土にあったワイン用ブドウの品種開発がつとに有名ですが、地元の名士として行政の長も務めたと云う側面も有しており、地域の経済的発展を目的とした施策の推進や啓蒙を図るべく村民の教育にも力を注ぎました。この資料館では、日本ワインに関する功績のみならず、生涯における地域との関わり、そして後にスポンサーとなった鳥井信治郎や同郷の微生物学者で発酵・醸造学の発展に寄与した坂口謹一郎はじめ日本の酒類関係者との交流など、善兵衛翁の軌跡を豊富な展示物を交えて詳しく紹介しています。
勝海舟からの手紙や森鴎外との交流といった歴史的事実についても触れられており、善兵衛翁の器の大きさに感嘆を受けることでしょう。ワイナリー見学の前には是非入館して、史実を学んでおくことを推奨します。
<栽培>
葡萄園では善兵衛品種を中心におよそ6haの畑でブドウを植栽しております。大正天皇行幸の際に訪れた展望台からは、畑も含めた葡萄園の風景は勿論のこと、上越市の中心地域・直江津方面まで望む事が出来ます。栽培品種は、マスカット・べーリーA、ブラック・クイーン、ローズ・シオター、レッド・ミルレンニュームの善兵衛品種4種と、欧州系品種のシャルドネカベルネ・フランです。
品種毎に仕立てが異なり、かつては垣根方式も行っていましたが現在は撤廃され、棚仕立て(X字)やGDCを主流としつつ、一文字短梢方式の導入が進んでいます。現状では、

  • マスカット・べーリーA=X字棚、一文字短梢
  • ブラック・クイーン、シャルドネカベルネ・フラン=Genova Double Carten(GDC
  • ローズ・シオター、レッド・ミルレンニューム=一文字短梢

となっています。X字棚のマスカット・べーリーAは樹齢40〜50年を経過しており、10a当たり66本と通常より植栽密度を高くしてます。GDCは樹勢を抑える点で有利ですが、ブドウの房の周囲が葉や茎で覆われてしまうことから日照や風通しの点で不利な面から生じる影響が大きく*2、一文字短梢への転換が進んでいる要因となってます。
また、葡萄園では有機JAS法 *3に則った栽培方法への転換を段階的に進めています。(マスカット・べーリーAを中心に導入を推進中です。)
<冷気隧道>
ワインの発酵や貯蔵には温度管理が重要です。そこで善兵衛翁は1894年に地下水を取り込むトンネル(隧道)を掘削。翌年完成した「第一号石蔵」の冷却用にこの隧道を利用しました。一度はその出口が埋もれその機能は無くなり、いつしか忘れ去られましたが、偶然工事で地面を掘り起こした際に再発見されたそうです。
隧道の内部は当時の姿が保たれており、現在は出口の場所に看板が立てられ、隧道の様子を伺うことができます。
第二号石蔵
そして、1898年に竣工したこの石蔵では、温度管理に冬季の積雪を利用した雪室を隣接。雪室に貯蔵した雪の冷気を取り入れ、石蔵の温度を下げるのに利用しました。

この石蔵は現在も貯蔵庫として利用しており、2005年の4月・新たに雪室の改築を行い冷気取り入れに熱交換器とヒートパイプを導入。現代のテクノロジーを取り入れ、エネルギーの有効活用を進めています。そして、低温発酵させる白ワイン用に特注の発酵・貯蔵タンクを用い、貯蔵庫内にこのタンクを持ち込めるようにも工夫を凝らしています。
<試飲>
試飲は、ショップで低価格帯の商品は無料で頂けます。そして、一部は有料(1種につき300円)となっています。今回は有料試飲で頂いた4種のワインについて取り上げます。
岩の原ワイン 3986マスカット・ベーリーA(2006)
岩の原ワイン 4131ブラック・クイーン(2006)
最近登場した「ヴァラエタル・シリーズ」3種の内の2種。(残りは、「6421レッド・ミルレンニューム」。)善兵衛品種の特徴をより明確に表現することをコンセプトとしたこのシリーズでは、より上質の果実を原料に用い各ブドウの特質を生かして仕立てております。
共に樽熟成されていますが、樽の風味は抑えられ、品種を表現する事に重きを置いてます。穏やかながらも奥行きのある味わいと純欧州系品種に負けない上質な余韻が特徴のマスカット・ベーリーA、そして独特の酸味とコクがワインの骨格をしっかりとしたものにしているブラック・クイーン。それぞれが、キャラクターをきっちり表現しており、かつ美味しいワインとして仕上がっています。前年の11月に催された日本ワインのイベントではまだ固さを感じ、閉じた印象でしたが、今回再び頂いてくびきが放たれ、飲み頃に入ったことが分かりました。
ちなみに、品種名の前の番号は1万種にも上る交雑の回数を表しており、「マスカット・ベーリーAは3,986番目に交雑された品種」*4であります。
今回は2006年物を頂きましたが、2007年物のマスカット・ベーリーAは単純に濃厚ではなくしなやかさが増した味わいになった事に加え、より優雅な余韻を醸し出しているとのことです。有機JASに転換した物を原料にしたワインで、その効能が少しずつ反映されているというのがワイナリー側の見解です。
岩の原ワイン ヴィンテージ(2006)
アッサンブラージュの相棒にカベルネ・フランを取り入れ、マスカット・ベーリーAを主体にした2番目の地位に位置する高級品です。
そこはかとなく漂う華やかながらも気品のある黒系イチゴの香味からカベルネ・フランの存在を感じさせ、マスカット・ベーリーAの引き立て役となりつつ溶け合うようにさりげなく主張しているところに魅かれます。暖かな風味に品格が備わったこのワインは、「ヴィンテージ」の名に相応しいものとなっています。
岩の原ワイン 深雪花・赤
葡萄園の看板商品で、も発売されています。赤は勿論、マスカット・ベーリーAを原料に使用。適度な酸味がアクセントとなって、まろやかな味わいの中にもビビッドな印象を与えることに成功しています。やはり、ある程度北の地で栽培されると酸の雰囲気が良く出て綺麗です。それと、このワインも含め他の商品もそうですが、貯蔵に樽を用いていても、そのニュアンスは隠し味程度に収められており、岩の原さんがいかにブドウの特質を引き出す事に細心の注意を払っている事が伺えます。


<総論>
本ワイナリーは、日本のワインの歴史を語る上で欠かせない川上善兵衛の功績を今に伝えると云う意味で、他のワイナリーには無い歴史の重みをひしひしと感じることができます。こうした背景を持っていると、過去の偉業故にどうしてもプレッシャーがのしかかるかと思います。
しかし、岩の原さんではそうした所に臆する事なく、昔の遺産をうまく取り入れつつも、新規な試みを重点を置くべき所から段階的に取り入れ、派手ではなくとも着実に成果を揚げてきています。
大資本のサントリー傘下と云う事も有り基盤は安定していますが、本社から独立して出来るだけの裁量が認められており、「岩の原」の名がすたる事なくこうして存在を確立されていることに関しては驚嘆に値します。善兵衛品種に特化し、未来を視野に入れた企業活動はこのワイナリーの大きな強みと言えるでしょう。
もし、あなたが「日本のワイン」を本当に心から愛する人、あるいはそのとっかかりにいる入門者でしたら、是非とも一度は足を運んで欲しいワイナリーです。普通のワイナリー訪問と違って、歴史と善兵衛品種の神髄を肌で感じることが出来る“有意義な旅”となることは間違いありません。また、レストランのラ・カーブでは、かつての偉業に心をはせながら美味しい食事と善兵衛ワインも存分に堪能できます。文化的施設だけでなく、ショップやレストランも含めきちんと整備されているので、訪問しても本当に損は無いと断言できます。
さまざまな形で功績を伝えつつ、「今」を感じることの出来る岩の原葡萄園。そこは本当の「日本ワインの生誕の地」と謂えるのでは? ふとそう感じた、とても印象に残った訪問でした。
(今回の訪問では、営業部の黒崎政人様のご協力の下、技師長の建入一夫様に案内をして頂きました。また、営業部の小林明様にも色々とお世話になりました。この場を借りて改めて葡萄園の皆様に御礼申し上げます。本当に有り難うございました。)

*1:同じ種同士の掛け合わせによる品種改良は交配(Crossing)と称し、交雑とは区別しています。川上善兵衛の開発した品種は欧州系のヴィニフェラ種と北米系の種が混交した雑種です。詳細は機会を改めて説明する予定です。

*2:多湿の気候では果実を冒すカビ類の罹患(ベトや晩腐)を抑制することが最も重要視されます。その点でGDCはあまり日本向きの仕立て法とはいえないでしょう。

*3:減農薬・化学肥料の削減、持続性重視といったエコファーマーよりも厳格な規則が定められてます。(リンク先のPDFファイルを参照下さい。)化学的に合成された肥料及び農薬の使用を避けることを原則としており、規制では特定の資材のみ使用が認められます。

*4:1万種の内、実際にものになったのは22品種。(参考文献:『交配に依る葡萄品種の育成(川上善兵衛:著)』、「園芸学会雑誌」第11巻, 第4号(1942)。この論文での功績に対し、日本農学会より最高位の「日本農学賞」が授与されました。善兵衛翁73歳、1941年の出来事です。)