国産ワインコンクール総括

今年で7回目*1となり、Japan Wine Challengeと並んで日本ワインを評価するイベントとして定着してきた本コンクールですが、そろそろ内容を吟味すべき段階に来たのでは無いのでしょうか?
先日は、『コンクールのあり方』と言う題目で記事を書きましたが、公開テイスティングへ実際に参加して(小生は今回で4回目)、今後に向け発展させることが必須であるとの結論に至りました。即ち、マスコミやワイン専門誌が主導して「日本のワイン」を盛んに取り上げてきましたが、これからは最近の趨勢を踏まえ、

  1. 国内では当たり前の存在として定着し、ムーブメントとなって継続されて行くこと
  2. 単なる『日本のワイン』と呼ばれるのでは無く、「日本の」と言う冠が取れて『世界のワインにおける一つのカテゴリー』として存在していること

が求められています。
以上二点に基き、過去から続いてきたステージから脱却して次なるステージに移るべき時が訪れたと考えて間違いありません。
そこで今回はきちんと総括を行い、小生の意見を下記に記します。
(前回と同様に意見があるのでしたら、最低ハンドルネームを入れた上でコメント欄に投稿して下さい。裏でコソコソするのはマナー違反。また、長文になる様でしたらメールでの投稿をお願いします。)

  • 公正性のある審査を

コンクールが世間に認知され、市場での指標となって良くも悪くもワインの売れ行きに影響を与える事を考えると、審査の公正さを保つことはいの一番に検討すべき重要事項です。
実際に、店頭で消費者が試飲する事は、販売分として商品のワインを確保しなければならない以上無闇に出来ません。*2そうすると、前回の記事で記したように、酒販店さんや料飲店さんでの店員さんの知識や薦め方・Webでの評判・マスコミやワイン専門誌での評価と同様、売れ行きを左右する要因となります。しかも、コンクールは上記の様な私企業や個人での評価と異なり、運営側の考え如何に関わらず公的な存在として位置づけられています。それは、権威的な物でなくとも人間の心理として重みが増すのは当然のことでしょう。加えて、結果が公表される以上、『裏がある』と見られることは言語道断です。*3
小生が感じるのは、過去から現在に至るまで審査員の構成*4を確認すると、消費者サイドに密接した酒販店・料飲店関係者よりも、製造者やワイン関係の外部団体の責任者等の割合が多く占めています。よって、嗜好品で個人の好みがあるとは云え消費者サイドに近い立場の人々の割合を多くしてバランスを取るべきと考えてます。
海外のワインと多く触れる機会があり、なおかつ値ごろな価格帯のワイン*5に対して目利きのある酒販店・料飲店関係者は商売上だけでなく、顧客の信頼を得る立場として矢面に立たされる以上、真摯かつ世間の趨勢に敏感で、常にアンテナを張り巡らしています。
もちろん、製造サイドも商品を生み出す以上目利きを有していることは当然ですが、自社のワインを如何に仕上げ商品化すると云う立場の違いは大きく、またテイスティングのテクニカル面で『欠点を探す方向』に重きを置いています。これは、実際にワイナリー関係者にテイスティングのポイントを尋ねると、殆どがそう答えます。そうすると、本人は意識していなくても評価が総じて「あら探し」的な方向へシフトしてしまいます。*6
そして、ワイン関係の外部団体の責任者となると、たとえ名の通った所で活躍されている方々と云えども、実際の現場から遠い分世間の趨勢をしっかりと捉えるのは困難でしょう。
ワインの評価は、決してあら探しではありません。なおかつ、良い所だけを取り上げるのでもありません。
『数値化可能な事項に加え、長所と短所を正確に把握して五感で感じたことを客観的に表現する。』
のが基本です。このような基本と審査員の構成を念頭に置いて、先日の記事でも提言した通り、全ての審査員が出品したワインを漏らさず試飲評価を行い、コンクールの存在意義を高めて常に正しい方向へと舵を切る向上心を持って運営することが大切です。その結果が、マンネリ化を防ぐことにも繋がるでしょう。

  • コンクールの有り方について公開討議を

表記の件については、山本博氏の著書『山梨県のワイン』でも触れられていましたが*7、コンクールの有り方を考えるためにはオープンな場で討論する必要が有ります。衆目を集めるイベントとしてのステイタスを保つ事が重要であると上記にて小生は記しましたが、そのためには公開討議の場を設けて、アウトラインに関して見直すのがベストでしょう。
運営に関わる細部の話になると、公開討論での議論では意見の集約が困難であったり、知識量の差で一部の参加者のみの意見交換だけに終始してしまう危惧があります。(細部についての議論は別途当事者のみで行うとして、もちろん内容は公開しなくてはなりません。)
発足当初は山梨県が主体となって音頭を取り各産地の協力を得ることに腐心し、『日本のワイン』を評価してレベルアップを図ることと認知度を高めることが最大の目的でしたが、存在が定着しつつある一方でさらに一般人への浸透を図り、しかもワインそのものが世界各地でワインが生産されグローバルな存在である以上、日本のワインが、最近良く使われるフレーズである「ガラパゴス化」して特殊な進化をしてしまうことは、袋小路に陥ってしまうだけです。つまり、海外に輸出することやプレミアムなワイン造りに終始するのでは無く、本来の正常な進化ならボトムレンジでの底上げを図ってその結果として輸出やプレミアムワインが成立して行くものです。*8
ところが、今の日本のワインはそうした「根っこの部分」を軽視しがちです。そうした所を改善して本来あるべき姿である、「日常の一コマで色々なお酒と同等に親しまれる。」様に道筋をつけて行く責務を国産ワインコンクールは担っています。そのためには、オープンな場で討論することが必須だと考えております。
その必要性について、私は敢えてこの場を通じて皆様に問いかけたいです。

  • 分岐点に差し掛かっている、日本のブドウで造られるワイン。

立場が違えども*9、今後の発展を願うのは誰しもが共通に想うことでしょう。これまでは、日本で本格ワインを造り出すことそのものに意義を見いだしていましたが、今後はその中身やクオリティーが如何なるものかを問われる時代になって来ています。子供であった頃は終わり、必然的に見る目は厳しくなります。
今、このような流れであることを認識しているのなら、ただの打ち上げ花火に終始していつの間にか梯子を外されていた状態となって閉塞感に包まれるよりも、果敢なチャレンジを目指す方向へと他発的では無く自発的に促すことで良き循環がもたらされます。
少なくとも関係者はもちろんのこと、ワインを愛する一般の方々もこの機会に是非コンクールについて、さらに日本で生産されるワインの将来についても考えて頂ければ幸いです。(選挙も行われたことだし。(笑)ではなくいやホンマに。)

*1:第一回は2003年

*2:多量に生産している場合でも、試飲分は利益では無くコストとして計算されます。ましてや、少量生産の貴重なものではその割合が大きくなって利益を圧迫します。

*3:酒販店さんや料飲店さんでの店員さんの知識や薦め方・Webでの評判・マスコミやワイン専門誌での評価は、個人に帰していてなおかつ志向があることを「暗黙の了解」として捉えているのが普通。

*4:過去も含め、審査員の一覧は、「入賞ワイン」の項にて第二回以降全て明記されています。2007年の結果が正しくリンクされていませんが、こちらに掲載されています。

*5:品質に疑問符のある一部の安ワインやスーパー等の酒類専門でない所で販売されている850円未満のを除き、通常一定の質を有する物は850〜2,000円代が売れ筋です。3,000円台はようやく売れるものの(特に、3,500円以下)4,000円以上では滅多に一般人の手に入らないだけでなく、頂くシチュエーションが特別過ぎる。そのような物と比較するのは論外。WANDS(2009年4月号)の特集「08/09日本のワイン市場を読む(p.12〜28)」を参照。

*6:決して、悪気があってではありません。ただ、常人は職業柄身に付いているやり方を踏襲してしまう可能性は大きい。

*7:本書のp.48〜50に、コンクールについての記述が掲載。

*8:あくまでも手段の一つ。目的では無く、結果として海外に輸出され高級ワインが造られる。

*9:当然違う立場なら、考えることに差異はあって当然。