『深く考える』は、「=権威的、あるいは難しくする」のではありません。

最近、日々思うのは、自分が未知の領域に踏み出すに当たって考えることが多くなったことです。それは、深く思考することで、方向性を見定めより良い明日へと導くために必然の事です。
ところが、そうやって考える時間を多く費やすと、「考えること」を面倒くさいと放り出すことが、
「なんでそんなに簡単に出来るのか???」
と疑問に思う瞬間が沢山あります。
権威に何の疑問も持たない、変に余計な思考をして邪推が入ったりして難しくする。
そうしたことは、深い思慮からは産まれません。
むしろ、深い思慮を行わなかったことの裏返しであり、隠れ蓑です。
もちろん、思慮は仮説の領域であるならば間違いは誰にでもある。問題は、そこからでしょう。仮説での差異を糧にして、新たな思考を継続すれば何の問題もありません。
そうすれば、権威的な方々や難しく考える方々の言葉を鵜呑みにせず、『自分自身の言葉』で持って語ることが出来ます。それが、血となり肉となって行くのですから、、、。
(簡単に、「楽しむ」と片づけてもつまらない。折角の人生・奥が深いのだから。)