「いま、ここでワイン葡萄栽培を志す」理由

明治維新後、文明開化が進み富国強兵策が図られることとなった我が国では殖産興業政策の一環としてワイン造りが導入されましたが、その一方で、独自の葡萄酒文化を育んで来ました。そして、100年程経過し日本のワインが再び脚光を浴びる今は、殖産興業の頃の「まずは基本的な所を導入」したウブな状況とは異なり、当たり前に海外のワインがあることを踏まえ、いかなる所に立脚してワインを産み出して行くかが問われているのではないのでしょうか? 海外の猿真似するだけだったら誰でも出来るが、それでは(例えば)「ボルドー好きならそっちで造ればええやん」と突っ込みたくなるし、「加州でアメリカンドリームじゃ!」と云っても他所モンが来てどないすんの?と思われないだけの情熱が求められます。


じゃあ、日本にいてワインを造る意義が何か?と聴かれると私自身も即答出来ませんし、気の利く答えが出せる訳ではありませんが、今すぐに挙げるとすると「そこに山があるから」ではないが「そこにブドウがあるからだ」という答えに尽きるでしょう。生かせることが出来る「資源」があるのは、「無」の状態よりも生きて行く上ではるかにアドバンテージがある。


幸いなことに日本にはどっから来たのか知らないが、『甲州』(名前は今住んでる所の旧国名が課せられているが、私は日本の葡萄と捉えて差し支えないと思う。)という固有品種が存在しております。


海外の産地もノーブルな品種(共通言語となるカベルネシャルドネ等の品種)と共に固有品種があります。旧世界でも土着品種が山盛りのイタリア、テンプラニーニョさんを使ったリオハやシェリー等独特のワインがあるスペインは言うに及ばず。歴史の浅い新世界でも、アメリカでは祖先は欧州であっても土着化したジンファンデルさんがいてる、豪州もシラーがシラーズさんとなって独自の展開をしている、等その国の風土(おもに気候や食生活)に根ざしているものが並列して存在しています。
つまり、頑なに鎖国していない限りグローバルな共通言語(ノーブルな品種)で通用するものが存在するのみならず、固有の「ことば」で語れるものが並列して存在しているというのがワインの魅力だと云う見解であります。人が個性を持つと同時に社会性を持った存在であるのと同じです。(全くの「没個性」では意志のないロボットと同じ。かといって「個性」を通り越して一人でトグロ巻いているのでは生きることは出来ません。繋がりがあってこその「人間」です。)


新しいモノのイノベーションは、決して何も無いところから「パッと出」で湧いて来るものでは無い。過去の延長線上に立脚し、なおかつ他者との交流によって別な視点での解釈を付加されることで醸成され、深みのある存在となります。
故郷である大阪に始まった日本のワインと、ひょんなことでその奥深さに魅せられハマった世界のワインと長く両方親しんできた小生は、地域に根ざしながらも、知識体系(というか、あれは「業界体系」で符牒にしか過ぎないような気がする。苦笑)ではなく真っ当な「世界のワイン体系」に則ったオリジナリティー溢れるものを産み出したい。それは、モノづくりの現場に長年携わっている者にとっての原動力であり、そうすることで「誇り」になるモノを産み出せると思います。


「内輪にしか受けない狙い」でも無く、「他所のものの猿真似」でも無いのを造る。それが、一番筋が通っているし、真に人々の共感を産むのではなかろうか? 
「内輪受け」とその対極の「猿真似」といった単純に二項化するのではなく、広い視野で持って多面的に包含した中で地域の持つ物を織り込む。それが、本当の『Glocal(グローカル)』だと思います。
そのための道程は決して平坦ではないし、一朝一夕では出来ないけれど、「そこに繋がるレール」はせめて造っておきたい。それが、小生の願いであり、「いま、ここで取り組む」理由です。


○関連記事
汝の国のワインを愛せずして、他の国のワインを愛せるだろうか?
(2008年3月28日小生記事)
【小連載】本当に「日本のワイン」が認知されるためには、、、?(いずれも小生記事)
第一回(2008年3月11日)・第二回(2008年3月13日)・第三回(2008年3月14日)



(追記)
上記のことを他に例えると、分かり易い例が、アート。特に、音楽にあてはまるのではないのだろうか?
「固有フォーマット」である民族音楽がある一方で、ロックやポップス・クラシックといった「共通のフォーマット」も存在する。でも、いずれも同じ音楽でそこに優劣は存在しない。
アーティストはそこへ自身のパッションを織り込み紡いで行くことで「作品」が産まれ、そうして自分の想いを伝えようとする。そうした衝動が創造する原動力となり、やがて「固有フォーマット」と「共通のフォーマット」が交錯した時に「新たなフォーマット」が誕生するのと似ているような気がします。