『山梨の“農”をつくる人々』に参加して

『山梨の農育食育2010』と題した講座が開催中ですが、「ワインとブドウ」というテーマでの講座がこの日山梨学院大生涯学習センターにて行われました。
 今回の催しでは、当Blogでも過去に幾度も取り上げましたお二方・池川総合ブドウ園の池川仁氏とシャトー酒折の井島正義氏の両名により、山梨のブドウ・ワイン産業について詳しく・掘り下げて現状を述べ、未来を語って下さりました。栽培と醸造の両輪が対等なパートナーシップを結び、互いにワイン造りに邁進するのが世界の常識ですが、ここ日本ではそういった常識とは程遠い状況です。しかし、このお二方は、日本ワインのファンならご存じかと思いますが栽培と醸造の両輪がタッグを結んだ貴重な例です。
今、山梨は日本有数のブドウとワインの産地ですが、過去を振り返ると実は山梨が必ずしも中心地ではなく、明治の殖産興業政策によりワイン造りを西洋から導入した際には現在の兵庫県加古郡稲美町に国営の播州葡萄園が設立され、その後昭和初期には大阪がブドウとワインの一大産地であったのです*1。このような経緯が今日では忘れ去られていますが、近年長野が躍進し山形や北海道が注目されるようになった現状を考えると、将来山梨がこのまま安泰でいられるかは分かりません。この日もこうした産地の変遷について両名より語られると、参加者の皆さんは一同驚かれた様子でした。
世界の著名なワイン産地が歴史に揉まれても生き残ってきたのは、人間の叡知と矜恃によって産み出されたものが様々な紆余曲折に逢っても時代の流れを読んで自己変革を為し得たからだと私は考察しております。つまり、閉鎖的な社会ではなく外部からも人がコミュニティーに加わり、固定観念に囚われることなく内部からも活性化が託されたことがポイントになっているはずです。それは、経済的にも魅力ある地域として地位が向上することにも繋がります。
日本のワインの地位向上のためにも、リーディング・リージョンとして山梨がどのような姿であることが望ましいか? そうしたことを考える上で重要なイベントでした。
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課題を抱えたままの“船出”なのは事実(2010年1月14日小生記事)

*1:参考:『大阪府におけるブドウ栽培の歴史的変遷に関する研究(小寺正史:著、大阪府立大学生命環境科学研究科博士学位論文、1986)』にて詳述されている。(統計資料も掲載。)