産地は「変遷」する

堀賢一氏の『ワインの個性』の83ページで「失われたワイン」という項がある。
そこには、過去は一大産地であった所が、病害を克服出来なかったり様々な社会的要因などでブドウ栽培が衰退した例が記されています。
実は、小生の故郷・大阪は過去・大正から昭和初期は日本の一大ブドウ産地でありました。
また、醸造用ブドウを本格的に栽培を試みようとしたのは遡る事明治で、国営の播州葡萄園が現在の兵庫県加古郡稲美町に設立されました。関西の事を知ることは、日本のワインの歴史を語る上で外す事は出来ません。
大阪の産地については歴史的な検証が学術論文*1として発表され裏付けがなされていますし、播州葡萄園の件も文献だけでなく地道な発掘調査で徐々に証明されつつあります。その辺の話は、過去に当Blog
「『山梨の“農”をつくる人々』に参加して」
http://d.hatena.ne.jp/okkuu-daaman/20100123/p1
でも触れました。
実際、過去の葡萄栽培のバイブル(大井上康「葡萄之研究」、土屋長男「実験・葡萄栽培新説」)でも大阪が産地である事の記述が垣間見えます。
以外に知れられていない産地の変遷は、ワインが一大産業になっている海外だけでなく日本でもあったのです。
山梨が先人の蓄積により今日本有数の産地となりましたが、高齢化や後継者不足で生産量が減少している事は地元紙
「ブドウ収量5万トン割れ」(山梨日日新聞
http://www.sannichi.co.jp/local/news/2011/03/19/9.html
でも取り上げられました。山梨が将来も牽引車であることは保証出来ません。
しかし、生食用でリードしてきた山梨県がワイン用でリードする事に転換し、生食に加えワインという「武器」を元手に更なる産地の底上げが期待出来ます。
社会情勢の変化は産地の変遷を強いられる事もありますが、そうした変化に対応出来る所が真の産地で、小生が新興産地である北海道や信州よりも、山梨にて骨を埋める積もりでワイン用葡萄栽培を行う事に決めたのも、一大産地である矜恃を時代に即した形で再構築していく潮流の中に入った方が面白いと思ったからです。(もちろん、他に様々な理由がありますが・・・。)
一大産地が再構築され、各産地が切磋琢磨する事により、日本のワインは次のステージに上がる事が出来るし、そうすることで、私を日本のワインに誘ってくれた故郷・大阪のワインとブドウ栽培に恩返し出来ると僕自身は思います。そして、僕の好きな北岳を抱く南アルプス始め好きな山々が山梨にはあり、当Blogをきっかけに知遇を得た方々が山梨には多く在住されてます。
それが、「地域」の再興と興隆に繋がる。何よりもワインはその「土地」を色濃く反映するものであり(「土地」がファクターの全てではありませんが。念のため。)、ブドウが生産されない限りワインを生み出す事は出来無いのだから・・・。
○関連記事
「山梨の地域ビジネスセミナー2010」を振り返る
(2010年12月4日小生記事)
「いま、ここでワイン用葡萄栽培を志す」理由
(2009年12月14日小生記事)

*1:2010年1月23日小生記事参照。実際の論文名はそちらの記事を参照下さい。実際に、小生が大阪府立図書館に昔帰省した時出向いて確認しています。国会図書館でも閲覧可。