損得勘定だけが全てではない

ワールドカップでのチケット絡みの話題は、'98年のフランス大会以来、何かとお騒がせしておりますが、今回も東京の旅行会社が確保出来てなかったりして、「またかー!」の感があります。
そんな中、湯浅健二氏のドイツレポは興味深い話でした。
 2006_ワールドカップ日記・・ワールドカップ開幕直前の、長〜い「四方山(よもやま)話」
 (「湯浅健二のサッカーホームページ」より)
プロスポーツである以上、興行的な面は疎かにはしてはイケマセンが、損得勘定だけが先走り、広くいろんな人々に親しんでもらうのではなく一部の人間しか楽しみを享受出来なくなってしまうのは、意図的でなくても門戸を閉ざしているのと一緒で、純粋にサッカーに親しみそれを楽しんでいる人からスルリと手が離れて行ってしまい、大切なものを放棄してしまってる、何だか悲しいというか空しいというか感情が湧いて出てきます。
5月12日の記事で、「特権階級を作るだけでは、本当の「ワインを飲む楽しさ」を伝えていない。」と書きましたが、所変れども根っこは一緒で、6月6日の記事でのように飲み手不在で限られた地域での閉塞した場の中では、果たして建設的に次代へと継承するための礎を築けるかが疑問です。湯浅健二氏の仰る通り、「バランス感覚」が大切なのだと痛感せずにいられません。
で、最後に是非とも目を通して欲しい金言を!

「その継続的な存在」にとって絶対的な基本要素が何であるのかという「バランスの取れた視点」も持たなければ、やはり食い尽くして終わりになっちゃうでしょ。
(湯浅健二氏の件の記事より引用)

(情報元=「サッカーのある幸せ」)