私がこのBlogを立ち上げたのは、2006年の3月…
振り返って観ると、20年を経過していた。
意識していなかったのだが、今この文章をしたためながら初めて気がついた。
当時、日本ワインがメディアに注目され始めて間も無い時期で、それまではワインといえば海外ものが主流で、日本国内では大手酒造メーカーやその関連会社、あるいは“地ワイン”の先駆けとも云える十勝ワインをはじめとする地方である程度規模のある中堅醸造元が知られる程度であった。
私は、両親・特に父親の影響もあって地元大阪のワインも意識して買っていたが、勿論メジャーでは無くかろうじて地元民が贔屓にしていた側面があったのは言うまでもない…
そんな中、マスメディアが日本のワインを初めて大きく取り上げたのが『dancyu』2004年の12月号である。
当時偶然書店で目にした小生は、早速購入してくまなく読んだが、全国各地に幾多の造り手が活躍していることを知り、
「知らんかった…こりゃ“井の中の蛙”だ」
と半分打ちのめされたといっても過言では無かった。
やがて、登山も趣味にしていた小生は、“山ある所日本のワインあり”といった感じで、果樹産地と登山先がシンクロしていたこともあって、山へ足を運ぶ機会を絡めてワイン産地へと足繁く通うことになる。
その記録が、当Blogとなって今に続いている。
私が日本各地を訪ね目の当たりにしたのは、グローバルなフォーマットを基に様々な国へ波及していったワインが、日本においてもその土地で育まれた地域性を土台に独自のあり様で根付いていったという至極真っ当なことであり、それが異国の手に届かないもので無く自国で足を運べる所にも存在していたという事実だ。
勿論、ワインの銘醸地と呼ばれる諸外国と比べ、原産地呼称なる制度は存在せず*1いかんせんそのレベルの差は正直あるにせよ、日本各地にぶどう産地は点在する中で、ある意味細々とではあるが“葡萄酒造り”というものが存在していたのは事実である。よくよく考えて見ると、ワインは雑駁に言えばぶどうを搾った果汁を醗酵させるという酒類の中でもシンプルな過程を経て産み出される由縁からも(明治期の文明開化や殖産興業政策の振興があったにせよ)ある意味世界各地に伝播しやすいものとして成立したといえよう。
また、世界各国のワインが、国という大きな括り以外に留まらず産地の地域性を色濃く反映した存在ということから分かる様に、至極真っ当な事であるとは云え日本でもその地域に即した形で銘品が各地に点在している事は、ある意味で必然の成り行きだったのかもしれない。
これは、サッカーという世界的に最も広まっているスポーツが、シンプルにボールを足で蹴ってゴールに叩き込むというルールでありながら、お国柄やその地域性を包含して世界各地に拡がっていた事と相似をなしている。
かような背景から、私も日本のワインを追っかけるブロガーとして色々と物申して来たが、何せ個人が休日に時間を拵えてある意味“取材”を重ねていくが、仕事でワインに携わる・あるいはジャーナリストとしてでは無かった事からいかんせん限界がある。
そうした中で、数少ないながらも当時刊行された日本ワインを取り上げた様々な書籍には非常にお世話になった。また、全国を回る内に当時は出来たばかりのソーシャルメディアで日本ワインを追っかけている人々と顔を合わせたりすることから、活動の中で情報をお互いに得ることもあったりした。
2004年から2005年、数少ない日本のワインを取り上げた雑誌。
特に、『dancyu』2004年12月号はその端緒と言えよう…
あと、当時日本ワインを書籍で記したものが、弁護士でもありワイン関係に
造詣の深かった故山本博先生の著作であり、その存在は貴重であった。こうして、全国各地のワイン産地を訪ね歩いて日増しに深まったのは、従来ワインの本(あるいは教本)に書かれている通りの一辺倒の通念とは異なる有り様が何処か存在し、諸外国のワイン産地での常識をそのまま持ち込んでも通用しない現実と向き合う姿であった。
“郷に入っては郷に従え”では無いが、むしろその地の環境に合わせて咀嚼し発展させるという逞しさで持って克服して美味しいワインとなって結実させていったそのプロセスに、行く度ごとに感嘆して行った事実である。
正に、
「行ってもいないのに、見て来たかの様に見て来たかの様に云うな❗️」
とのポリシーはこの時に確立し、自身が今携わるぶどう栽培やワイン醸造の考えに於いて根底を成している。
理論や過去の歴史だけが全てでは無く、正に答えは「現場の中にある」のだ…
なぜ現場視点が欠かせないのかは、言うまでも無く、農産物であるぶどうの栽培においては育まれる土地に立脚する地理的ならびに気候条件が大きな要素であること。また、醸造そのものが工業的な面を持つ工程でありながらも風土や歴史的背景を抜きにしては語れない側面からも窺える。
時は経ち、小生も今業界の“中の人”となっているが、あの頃の気持ちはBlogのタイトルよろしく、忘れてはならないものであると現在も痛感している。
とはいえ、「日本のワイン」が持て囃されて行った現状を業界の片隅から見守って来た小生としては、安閑としていられないことも事実で、“実際の現場の声”を如何に拾い上げながらも世間に認知して行かざるを得ない“発展途上であるにも関わらず急速拡大した業界”ならではの曲がり角に差し掛かっているのを肌で感じている。
以上のような状況に於いて強く求められるのは、表層的な切り取りでは無く出来るだけ深層を深掘りして行く姿勢に加え、単なる「趣味的」な視線では無く産業としての在り方を如何にして往く俯瞰的な視座での現状認識を、詳らかに伝えて行く事が至上命題であると小生は考えている。
特に、嗜好品としての側面が強いワインというジャンルでは、とかく趣味性の強い見方に陥りがちで、産業として発展維持して行くには個人の趣味嗜好を一旦外に置いた上での冷静な判断が求められる。
そうした想いの中偶然ではあるが、かつて鉄道情報誌『鉄道ジャーナル』*2の巻頭記事を主戦場に執筆を重ねて来た鉄道ライター・土屋武之氏が表記雑誌の休刊後*3、自身で立ち上げたWebメディアを目にする機会があり、その巻頭言には大いに頷かされるものがあったので引用させて頂く…
【企画主旨・編集方針】
- 「趣味」に偏しがちな鉄道出版業界においては、客観的に鉄道の実情を伝える媒体が乏しいため、『鉄道ジャーナル』の精神を少しでも受け継ぎ、取材・執筆に当たる。
- 鉄道会社の“身内”からの発言・PRではない、一般利用客目線からの観察・評論として、ありのままの鉄道の姿を描写することに努める。
- 速報性より、施策の定着が見られた段階での取材・評論を心がける。
- 「線路の上だけでものごとを考えない」ことを徹底する。そのため、鉄道だけではなく、バスなど他の公共交通機関、さらには背景となる地域の実情など、可能な限り広い視野から見つめる。
(土屋武之:T's Express: 2025年9月号、刊行にあたっての巻頭言より。)
読み易さを踏まえ、句読点などの約物に関しては一部手を加えています。
これは、「鉄道」と云うフレーズを他のジャンル(例えば「音楽」「サッカー」とか「ワイン」と云う嗜好性の上に趣味性の強いジャンルはもちろん、工業的なプロダクツも含めて森羅万象色々なジャンルにおいても同じである)に置き換えても普遍的なことで、メディアにおけるジャーナリズムの在り方の基本を再確認する上で、重要なものの見方では無いかと再確認させられた。特に、4項目目に挙げられている社会の中において様々な見地から意図して捉える事は、「ジャンルの中からの観点」のみにとどまる故の「内輪受け(もしくは排他的存在)」に陥る危険性を回避するだけで無く、社会の中で共感を持って迎えられることによりその存在意義を高められることにも繋がるからだ。
ともすれば、ジャーナリズムとは特定の思想信条(イデオロギー)に染まるものではなく、新聞や書籍・テレビ以上に短時間で情報が伝播して行くインターネットという名の情報の洪水がメディアの主流となりつつある今、かつてよりも丹念に事実を紡ぐと云う基本に立ち返ることを踏まえての役割が強く求められていると確信している。
そうした中で、「日本のワイン」の現状を俯瞰的に捉えている数少ない貴重なメディアと小生が捉えている雑誌がある。
ワインを中心とした酒卸問屋であり、海外ワインの輸入も手掛ける株式会社飯田さんが刊行する季刊誌『日本ワイン紀行』がそれである。
nihonwine.base.ec
キリ番を迎えた『日本ワイン紀行』
左が第29号、右が先日発刊された第30号。2018年の創刊以来はや8年の月日が過ぎ、この3月でもってキリ番の30号を迎えた事は感慨深い。
ともすれば業界誌ならではの身内のしがらみに左右される懸念もあった中で、外部のライターを取材陣に迎えて客観的な目線での取材を心掛け、精緻な描写を厭わないためにも時には敢えて専門用語を交えつつ出来る限り分かりやすい誌面を心掛け、マスメディアや従来のワイン専門雑誌と一線を画しつつ試行錯誤の中媒体として確立して行った事は、「中の人」という自身の立場を差っ引いても素直に評価したい。
奇しくも、キリ番前の29号(2025年12月号)から、連載のコラム執筆陣が入れ替わった。
そのメンバーの一員には、偶然にもあの『dancyu』(2004年12月号)で、日本ワインのテイスティング企画でテイスターとして加わった“大魔王”こと内藤邦夫氏(株式会社内藤プランニング 代表取締役社長)が『流通現場から日本ワイン』と云うお題目でコラムを執筆されておられる。
長きに渡って流通の現場で日本ワインを扱い関わって来た氏の目線から、黎明期からメディアに取り上げられた当時を振り返っておられるが、日本のワインが置かれた現状を改めて知ることになり、「目から鱗(うろこ)が落ちる」衝撃を味わった当時の心情を恥を忍んで率直に語っておられたのは、かく言う私もそうであった当時の心境と通じるものがあると改めて感じた次第…
正に当時を知る人ならではの貴重な証言として、コラムを興味深く読ませて頂いた。
ただ、振り返って観ると業界人と云う立場を考えると小生にとってその記事の内容は一つの良き思い出として大事にして行きたい一方で、思い出とは極めて個人的なものであるのも事実。
先に取り上げた土屋氏がX(旧Twitter)にて
「思い出話しかできない人間にはなりたくない。」
と語っている様に、その将来の在り方と向き合う事が、業界に身を置いている立場である以上(自身も含め)求められていると日々強く感じる。
「中の人」となった2009年当時はおよそ180場ほどであったワイナリーも、数字の上では今や500場を超えた現状ではあるが依然課題は山積しているのも事実。
例えば、良質のぶどう原料確保やワイナリーの持続的な経営維持、舶来物と比して割高とされる(実際は単純な価格の高低だけでは議論出来ない事は敢えて記しておきたい)ワインそのものの価格等が具体的な課題として挙げられている*4。
さらには、健康面などからの理由による世界的なアルコール離れという消費の下振れが現実として伸し掛かる…
www.businessinsider.jp
もはや「お花畑」では無い状況下で、如何に生存競争の中生き長らえて行くかが個々の事業者に求められており、日本のワインも例外では無い。
正念場を迎える今、『日本ワイン紀行』という媒体が担う役割はより一層重いものとなるあろう。
だからこそ、日本の現状を踏まえて今に即した有り様を考えて行くための羅針盤として、引き続き今後も精力的な取材を基に誌面を築き上げて貰いたいと切に願う。
今後の貴誌の発展を陰ながら応援しております。