「評価」を評価する事の難しさ(その2)〜「最もまずい」と評価されたワインが金賞受賞した話

今、SNSの界隈でワインに関するこちらのネタが話題を賑わしている…。

ソムリエに「最もまずい」と評価された400円の激安ワインが国際コンクールで金賞を受賞してしまう(Gigazin、2023年9月14日記事)
gigazine.net

SNSでのシェアや引用などでは…
「ソムリエは信用ならん…」
と息巻いたり、
「結局自分の舌が全て!」
とニヒリスティックになっていたりしますが、お題にある様に「評価」を評価する事は意外に難しく、ややもするとお門違いの批判もあったりする。

さて、このGigazineの記事と周りの反応を見て思い出すのは、昔小生が、
「評価」を評価する事の難しさ〜国産ワインコンクール再考(2022年9月13日記事、*1
で色々記した事ですが、コンクールの実際を知らないで批評するのでは拙速で、単なる「批判のための批判」になりがちなことが多い。

こうしたワインコンクール(ワインコンペティション)の実態を知ることはそうそう無いかと思いますが、先の過去記事でも取り上げました
国際ワインコンクール体験報告(1)
国際ワインコンクール体験報告(2)
国際ワインコンクール体験報告(3)
(いずれも、「楽天Blog - モーゼルだより」より。)
ドイツワインに造詣の深いライター・北嶋裕氏*2のBlogでの記事を読んで頂くと非常に参考になります。

こうしたコンペティションでは、スポーツ(今ラグビーW杯真っ盛りですね!)でのルールと同様、然るべき状況でイコール・コンディションの下で競われることになります。すなわち、ルールが適切なもので無い限り、この競技の正当性が問われるわけです。その一方で、「俺はこのルールが気に入らん!」と云って文句を垂れるだけでは駄目で、そういうのは丁重にご退場して頂く他無いのです。

そこで議論の的になるのが、審査の公正性ですが、サッカーでも審判の誤審が大問題となったりすることが過去ありましたが、VARやゴールラインテクノロジーの導入も進めることで公正性を担保したりするなど、また野球ではリクエスト制度やコリジョンルールにブロッキングベースの導入などと運営側も真摯さと進化が求められる訳です。
そういったものに対する答えとして、ワインコンクール(ワインコンペティション)の場合、審査方法はもちろんの事、出品の規定、審査員の質など運営全般についてまで実はOIV(国際ブドウ・ワイン機構、http://www.oiv.int)で定められており、明文化(PDFファイル・英文)までされております。また、結果のトレーサビリティーについてもきちんと担保されており、出品者個々の審査員の評価シートまで遡って確認出来る*3ようにもなっていることから審査の透明性が確保されているとも云えます。以上の記述は、 前回の(その1)の時と何ら変わらない考えに基づきます。

こうした議論と検討の結果出来た“レギュレーション”は、公的な機関によって担保されたものであればある一定の水準であるとみなし、“レギュレーション”に準拠したコンペティションであればその結果に対して一定のお墨付きが得られたとして世間の認知を受ける訳です。
で、“レギュレーション”が正当かどうか分からんやんけとツッコミ入れる御仁もおられるかもしれませんが、少なくとも公的機関の認定を受けたものであれば、そうした難癖をつけることがそれこそ「お門違い」になってしまいます。
FIFA国際サッカー連盟)やワールドラグビーラグビーユニオンの国際競技連盟)が「気に入らん!」と言ってW杯の結果を受け入れないという人は流石にいない(いるかも知れないがごく少数・笑)のと同様、所定の“レギュレーション”を満たしている以上、大会は成立する訳です。

で、今回話題のネタにされた「Gilbert & Gaillard International Challenge(ジルベール&ガイヤール インターナショナルチャレンジ)」ですが、果たしてこのコンペティションがOIV準拠の規定に則っているかは、主催者側であるこちらのサイトの“Who are we ?”のページ
www.gilbertgaillard.com
を拝読してもそうした記述も無く、Gigazineの記事中にもある様にエントリーに関してもかなり“ゆるい(苦笑)”条件なのでコンペティションとしての信頼性が???となる訳です。

よって、今回のGigazineの記事で云えるのは、
「このコンクールの信頼性については公開されている媒体からは何とも言えない」
というそれ以上でもそれ以下でも無い結論…に落ち着いてしまいます。

ワインのコンペティションは、世界に星の屑・いやもしかしてそれ以上の数の無数のワインが出品される訳では無いので、コンクール(コンペティション)に「絶対」は有り得ません。
そして、コンクール(コンペティション)が全てでも無いのも確かに事実です。

しかし、コンクール(コンペティション)は単なる権威的なものでは無く背景を知った上で、厳正なる審査の下もたらされた結果を、出品者は厳粛に受けとめ・メディアや売る側や飲み手はあくまで事実として知る、そうした姿勢が最も大事なのではないのか?
色々と考えさせられる一方で、変に斜に構えるのではなく素直に見ていく事の大切さを改めて痛感した次第です。

*1:「国産ワインコンクール」は当時の名称。現在は、「日本ワインコンクール」として開催され20ております。

*2:現在は、インポーター・ラシーヌのスタッフとして活動されており、コラムも寄稿されています。

*3:恐らく、一般の方々は閲覧不可で、出品者など関係者のみが閲覧可能かと思います。その辺の情報はご存知の方は可能な範囲で教えて頂けると幸いです。

リーデル大阪店に“甲州グラス”のことで聴きに伺いました。

残暑が厳しい今日この頃ですが、今年の夏は大変ですね…(何度この言葉が挨拶に出てくるか・苦笑)
当方の収穫が一段落し、ワインの発酵が進みはじめたので、少し安心です。

8月26日、梅田のHarbis ent内に開店してもうすぐ1年となります、リーデルの大阪店にお邪魔して来ました。
www.riedel.co.jp

甲州グラスが、山梨でのワークショップで選定され、はや数年経過しました。私も自宅で評価や嗜む時にはこのヴェリタス甲州シャンパーニュグラスを愛用しておりますが、知人が興味を示していて聴きたいことも有りましたので、お邪魔させて頂いた次第です。

リーデル大阪店

youtu.be


現在、リーデルで“甲州”の名前を課したのは、4シリーズ(ハンドメイドのファット・ア・マーノスーパーレジェーロ、マシンメイドのヴェリタスとヴィノム)が有りますが、実用的にはマシンメイドのが購入検討範囲にあたると思います。
ただ、もう少し廉価のが無いのか?というのもあります。

甲州”の名を課したのは、新世代型シャンパーニュグラス(白ワインとして愉しむのが最近の流れ)になっていますが、このシェイプでは、ヴィノムより廉価で、フツーの一般家庭でも使える最近登場したワインフレンドリーシリーズもターゲットに入ります。4個セットのみの販売ですが、1個あたりのお値段は安く扱いやすいので、実際どうなのか気になります。

(写真1)

まず、写真1ですが、左から、ワインフレンドリー・ホワイト/シャンパーニュ、ヴィノム・シャンパーニュ/甲州、ヴェリタス/シャンパーニュ甲州を並べて見ました。
お店の方によると、シェイプはほぼどれも同じで、厚さが右の方に行くほど薄くなるので、味わいを敏感に感じ取る方では差異があるかもしれませんが、特段グラスの厚さを気にしなければほぼ同等の味を楽しめます。
大きな違いは、グラスの重量でヴェリタスはヴィノムよりも25%軽量なので、手に取った感がかなり違います。あと、ステムとグラスの繋ぎ目がヴェリタスは滑らかで、しかも細い。ヴィノムは触ると継ぎ目の凹凸が目立ちます。ワインフレンドリーは無骨かもしれませんが、ヴィノムとは大差が無いです。
なので、グラスのハンドリング感は
 ヴェリタス>>>ヴィノム>ワインフレンドリー
といった感覚。むしろ、一般家庭ならヴィノムよりワインフレンドリーの方でも遜色なく使えます。
もちろん、本気モードの甲州種ヲタク(笑)ならヴェリタス一択です!

(写真2)

次に写真2ですが、左から、ワインフレンドリー・ホワイト/シャンパーニュ、ヴィノム・シャンパーニュ/甲州、ヴェリタス/シャンパーニュ甲州、ヴェリタス/リースリング・ジンファンデル、ヴェリタス/ソーヴィニョン・ブランを並べて見ました。
ヴェリタスの3種違いですが、上記のワークショップのYouTubeや製品紹介にも有ります様に、最終選考で残ったのがこの3種です。
3種はシェイプが異なり(卵型で底部が尖り気味のシャンパーニュ甲州、角度が浅いリースリング・ジンファンデル、開口部がややおおきく膨らみもあるソーヴィニョン・ブラン)、それぞれの品種に合った特性を考慮しての形状です。

リーデルのお店の方によりますと、

  • グラスの口の傾きの角度
  • 注いだ後の空間(ヘッドスペース)の容積

が重要な要素として挙げられるとのことです。(他にもあると推察されますが、まずはこの2点です。)

(写真3)

「グラスの傾きの角度」は薫りの閉じ込め具合に関わります。甲州は他より香りが繊細なので角度がついているシャンパーニュグラスが良いとの見解です。開口部もソーヴィニョン・ブラン型よりも小さめなので適合しているのも理解出来ます。
あと、角度があることにより、ある程度傾けないと口の中へ注がれ無いので、同じ傾け方で一口あたりの量が少なめになるシャンパーニュグラスの方がより繊細に味を汲み取ることになるとのこと。
優しい味わいの甲州種ならば、フィットしやすいとも言えます。

そして、「空間(ヘッドスペース)」の容積」ですが、薫りを感じ取るためにこの空間が必要でここに成分が広がることから、薫りの量は底面積ならびに容積、鼻腔にすぐ届くかは高さが関わって来ます。
繊細な泡を感じ取りつつも、その薫りを閉じ込めじっくりと味わって頂くにため近年のシャンパーニュグラスはより白ワイン的なシェイプ*1になりましたが、甲州種では品種の特質からもリースリング・ジンファンデル型やソーヴィニョン・ブラン型よりも、新世代型シャンパーニュグラスが合っているとワークショップでも評価された模様です。
実際に3種の比較も、ワインを口にしてのが出来たらいつか試みて見たいと考え中です。

以上、備忘録も兼ねてまとめてみました。

私も、実物で確かめてみたかったので、お店に伺いお話を聴かせて貰ったのですが、色々と参考になるお話を聴けたのは収穫でした。
購入のガイドとして一助になれば幸いです。

この度は、関西地区のエリアマネージャを務めておられます、リーデル大阪店の木下義文様にはお世話になりました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
ありがとうございました。

*1:パーティでよく使われるクープ型や泡立ちの良いフルート型は、液面から開口部までの距離が近く空間の容積が小さいので、薫りがすぐに抜けてしまう。

『日本の自然派ワインの現状をどう分析していますか?』の読後所感

ようやく、目を通すことが出来た。

一般社団法人・日本ソムリエ協会発行の機関誌『sommelier』191号(2023年3月号)に掲載された、『日本ワイン紀行』でお馴染みの小原陽子さんによる、メルシャン株式会社・安蔵光弘氏へのインタビュー記事を遅ればせながら拝読いたしました。
長文になってしまいましたが、元化学屋さんの私なりの所感を記しておきたかったのでお付き合いの程を…。

既にこの記事は、発行された3月の時点で他の方のFacebookの投稿にて紹介され、ご存じの方も多いと思います。結構反響もあったのではと、想像しています。
協会員ではない私は発行直後読むことが出来なかったが、幸いにも国立国会図書館の「遠隔複写サービス」の制度を利用して入手可能であったことから、取り寄せした次第である(時期が今頃になったのは著作権上の取り決めなど、国立国会図書館の複写の規定によるため。 ※ 1 )。

安蔵さんの平易で的確な説明と、小原さんの解説のお蔭で、化学的なお話も含めどんな方にも理解しやすくまとめておられる。
協会員で購読可能な方は改めて再読されることをお薦めします。周りにソムリエ協会所属の方がおられましたら、拝み倒して協会誌を借りて、目を通すことが出来たら幸いである(借りれたら、ワインでも奢るなり何らかの返礼でもしましょう。笑)。
もしくは、図書館に有ればありがたいですね。

さて、本題はここから。この記事を読んで、小生は色々と考えさせられた。
日本のワインを取り巻く環境はここ十数年色々と変わって来たが、ちゃんとした「産業」として成り立っていくには諸所に課題が残されている。

その課題については多々あり複雑に絡み合っているので、「どれだ❗️」とは一概に言えない上に、一朝一夕に解決出来るものでも無い。加えて、こうした現状から来る未成熟な市場ゆえの、ややもすれば「けったいな価値観」がどことなく空気の様なものとして漂っており、元化学屋さんである私としては腑に落ちない所も散見される。

そうした空気感が醸成されてしまい、今回取り上げた記事の中で指摘されている問題点に繋がっているフシがあるが、小生なりの考えを一つだけ言わせて頂きたい。

それは、日々モノが当たり前にあってその出来るプロセスが見えづらくなったこのご時世、「技術」が普段の暮らしの中でとても大事なものだという「有り難み」を実感出来ないままになったのが、そうした空気感の一因なのでは?と考えている。

私が以前一緒に働いていた後輩君(彼は大学は出ていないのだが、最近ある研究所に期間雇用で働いていたぐらいの優秀な人材で、ワインに関してはもちろんのこと様々な学びに貪欲。でいて、憎めない「いちびり」なヤツである。笑)が、昨年ある時こんなコトを言ったのである。

「料理と一緒ですよ。生の肉やお米、お野菜とか丸のまま差し出されても口にすることが出来ないじゃないですか。美味しく食べるには『手をかけなければならない』のと同じですね…。」

当時喋ったセリフそのままでは無いが、要はこの様な意味のことばであったと記憶している。
ごく真っ当で当たり前のことだが、本当に言い得て妙だと感じ、私自身気付かされるものがあった。

人間も動物ではあるが、他の動物の様にそのまま草木ないしは獲物を食べてもOKな強靭な胃腸を有していない。
切って、熱かけて、必要に応じ味つけて…など基本的な「技術」を施さない限り、生命活動の基となるものを得られないのである。
いや、もっと言うと「調理する技術」を身につけたからこそ、人間の食生活が成り立っている。人が口にするものである以上、もし正しく調理が出来ていなければ、お腹を壊したりするかもしれないし、場合によっては命にも関わるかもしれない…。

野生の動物でも、食物を得るのに工夫をしたり、あるいは消化器官に特殊なものが備わっていたりする。
もっというと、
「糖分をアルコールに代謝(異化)する仕事をして、生命活動に必要なもの(※2)」
を得ている酵母君は、人間が徒手空拳では逆立ちしても出来ないこと(笑)をやってのけているのである。

しかし、酵母君が機嫌良く働いてもらうためには、環境が整わない限り無理である。そうした環境を整えるのがまぁ人間なのだ。
文中では「自然派と不自然派(笑)」とあるけれど、そんなことよりも
 酵母が引き起こすアルコール発酵を通じてエタノールを得る」
というどちらの立場をも超えた永遠の真理で僕たちはワイン、ひいてはお酒をこしらえている。
後者は機械やなんらかの技術等で人間の肩代わりになるようなものを使い、前者は人間そのものが手をかけるといった違いだが、やっていることは両者とも一緒で、とどのつまり何らかの形で「手を入れて環境を整えない」限り、我々はアルコール飲料を口にすることすら出来ない。
極論言うと、そこをしないまま出来るというのは、ある意味自然に対する冒涜の様なものかも知れないと私は思う。

ぶどう造りも一緒である。
機嫌良く育って、美味しいぶどうを食べれるように、あるいはワインにしたりするには、何らかの形で「手をかける」ことをしないと収穫出来ない。
泉の水の如く、勝手に湧いて出ては来てくれないのである。気合いやお気持ちで造っているのでは無い。

そうして冷静に考えると、技術というのは、大層な科学技術を駆使したり、高度な職人芸を施すだけとは限らない。
日常生活の中で、ちょっと「手をかける」のも技術のうちである。
加えて、科学技術は、自然現象を観察して理論で体系化したもので、決して自然と対立するものでは無いことを、元化学屋さんの私は声を大にして言いたい。

わたしたちの日々の暮らしの中にも、自覚しないところまで「技術」というものは深く根づいている…。出来上がった目の前にある商品は、色々な人の「手」により様々なプロセスを経て形となり、届けられている。皆さんもそんなことを考えるきっかけになればとも思っている。
自身もぶどう屋さんとして、素朴なところから技術を積み重ねて行かねばと思うことしきりである。

そして、このインタビュー記事を紙に穴が開くほど(笑)読んでもらえれば、元化学屋さんで、研究屋さん・技術屋さんの端くれだった私としては嬉しい。
(お二方からは了解も頂いての投稿です。改めてこの場を借りて御礼申し上げます。)


(※1)
国立国会図書館の「遠隔複写サービス」についてはこちらを参照のこと。
https://www.ndl.go.jp/jp/copy/remote/index.html
複写サービスに関しては、「著作権にかかわる注意事項」を留意の上利用されたい。
https://www.ndl.go.jp/jp/copy/copyright/index.html

(※2)
“ATP(アデノシン三リン酸)”のこと。人間も含め、全ての生命活動で必須となるエネルギー源の物質。ちなみに、人間はアルコール発酵ではなく呼吸の過程でATPを得ている。

開業1周年を迎えて…

今日も無事仕事を終え、何事もなく一日が過ぎようとしている。

そして、本日5月20日は開業からはや一年…。

osaka-grapeandwine.com

去年の6月20日に、本Blogはじめ各種SNS等でお披露目しましたが、実際の開業届上の日付は本日となっております。

出たとこ勝負とはいえ、何とか形にして事業を進めて行けたのも、多くの方々からサポートして頂いたお蔭です。
この場を借りて、改めて御礼申し上げる次第です。

節目を迎えましたが、まだたったの一周年で何よりも生き残って行くことが肝心。
次の日も、目の前の一年に向けて前進し、無事積み重ねることでさらに次の一年に、そして知らない間に気がつけば十年…という具合に未来へ繋げて行きたいです。

今後ともより一層のご支援とご愛顧のほど、宜しくお願いいたします。

おおさかワインフェス2023 ご来場の皆様へ

(追記:4/21 16時08分、駅から会場へのアプローチを更新しました。お間違えのない様にお願いいたします。)

こんにちは❗️

すでにInstagramFacebookでお知らせしている通り、4月23日(日)は4年ぶりの“おおさかワインフェス”の開催日です。

ご来場の皆様への案内を以下に記していきます。。
事前に読んで頂ければ、当日戸惑うことなく来て頂けるかと思います。


【会場について】
今回は、羽曳野市駒ヶ谷駅そばの「石川河川公園」です。
お間違えのないように。

https://www.toshi-kouen.jp/staticpages/index.php/ishikawa_access
大阪府・石川河川公園、webサイトより)


交通機関について】
大阪阿部野橋駅から、近鉄南大阪線に乗車して、駒ヶ谷駅へ向かって下さい。

近鉄路線図より引用

予め、鉄道検索アプリやYahoo!乗換案内

https://transit.yahoo.co.jp

で、検索して行くのが無難です。
(途中でうっかり河内長野・富田林方面に向かう人が多いので要注意❗️)


【駅から会場へ】
少し分かりづらいので、添付の写真を参照して下さい。
駅から踏切を渡り、その後差し掛かる駐車場入口から会場の公園へ向かいます。

(1:駒ヶ谷駅下車後)

(2:踏切横断)

(3:駐車場入口から公園へ)

(4:公園へのアプローチ)

(5:石川河川公園入り口へ)

くれぐれも、ご近所の迷惑にならないようお願い申し上げます。


【その他】
水などの飲み物は、事前に買っておくことをおすすめします。

自販機が、駅周辺や公園にはありますが売り切れになるかも?

駅周辺には、コンビニがございません。ご注意下さい。
(一番近いコンビニは、公園から10分以上離れた所まで歩いて行かないと行けません…。)

https://maps.app.goo.gl/h9Dy8mzTKiEDy1pV6?g_st=ic
(石川河川公園、Googleマップより)


公園は、芝生の広場があって伸び伸びと過ごせますよ。

マナーを守って、楽しくワインフェスを満喫しましょう〜🎵
それでは、よろしくお願い申し上げます。

なぜ僕は、“ドサ回り”を続けるのか・・・。

久方ぶりに、山梨に行って参りました。

過去の自身の記録を見たら、2016年の2月下旬(しかも日帰り)だったので、宿泊してじっくりとなると感慨深いものがある。


さて、昨年から独立し事業を起こしてからは、出来る限り他産地に足運ぶようになっている。かつて、小生はこのBlogで日本のワイナリーを・産地を訪ねて来た記録を綴り、出来る限りのことを調べ・勉強して行った。その頃からも情勢が変わったというのもあるが、やはり「現地に行かねば分からん」という性分も、相変わらずあるのだとも思っている(笑)。

そこ(産地)には、実際に足を運ばなければ見えない物が多くあった。
もちろん、メディアで多く取り上げられる様になり、日本のワインへの注目度が上がるにつれ、「情報量」は増えていった。
しかし、中々語れない・文字に出来ない情報もあったりもする一方で、メディアでは量れないものがある。

「現地の雰囲気・風、そして実情」

文字では書き表せにくいだけでなく、その肌感覚は決してこうしたWebやSNSが発達した今でも決して完全に伝えられるものではなく、リアルなものはやはり現地で無いと知り得ないことが多い。いやそうでなければ、人間という生き物である以上、サイバーマシンでは無いので「地に足ついて」生きていく他無いと私は考えている。

“ぶどうを造る”ということは、その地の風土・気候というものに応じて対応しなくてはならないので、私の在住する大阪で他産地の事例をそのまま持ち込んでも上手くいくとは限らない。それに、地域の社会的実情・歴史的経緯という別の側面や、経済的なところも勘案しなくてはならないことから、その産地の事例≠他産地の事例なのが普通でイコールとなることはそうそうあることでは無い。これは、ぶどうに限らず、農業一般にいえる事だと思う。しかし、他産地の事例に学ぶことは多く、同じぶどうを育てるのでも、なぜかの地ではその様に取っているかを知ることにより、ぶどうを造ることの大事な「本質」に少しでも近づけるのでは?と考えているに他ならないからだ。

それと、これはワインの愛好家や一部の業界関係者の方にままあることだが、“テロワール”とかに代表される様な「パワーワード」の枠の中でしか捉えられない人だと、実際の農業や経済・歴史などの視点を勘案しないでその枠内でしか話が拡がらず、異なる価値観や新しい事例・発見が現実にあっても中々認めない傾向がある。そうなると、話が噛みあわず正直いたたまれない気持ちになる。
そうしたフィルターを通さず見ることで、ワインの造られてる「現場」を始めて理解出来るのではと感じている。やはり、ワインはもの造りという側面も少なからず存在する以上、技術をフラットに見るところから、こちらもぶどう造りと同様、ワインを造ることの「本質」を少しでも知り得ることが出来るからだと考えての所以である。


もちろん、こうした小生の考え方が全て正しいかどうかは分からない。
人によってものの見方はさまざまなので、これが絶対とまでは言い切れない。ただ、かつて「ものづくり屋さん」で研究者の端くれであった私は、ものの本質を見ていきたいという想いがより強いのだと思う。だから、上記の様な考えに至ったと、今までの自分の歩みを振り返って考察している。

それと、故郷・大阪の枠だけで自己完結していても、外の枠・世界では通用しないこともある。あるいは、時代の変遷で価値観や考えが移り変わることは、古今東西問わず逃れられない宿命かもしれない。
そうして時に、外に全てを準拠してしまい自身を失っては本末転倒ではあるが、不必要に流されることなく良いものを参考にしていくことは悪いことでは無い、いやむしろそうしたことを取捨選択して血や肉と化すことは知識のアップデートに繋がり、自身や周囲にも良い影響が出るのでは?と考える今日この頃である。


「旅」というものは、いろいろな点でエネルギーを使う。
純粋な意味での「エネルギー」だけではなく、経済的にもだし、自分の知らない土地へいこうとする動機・モティベーションなどといったところでも気持ちを使うので、大変なこともある。
でも、身体と気持ちが動く限り、“ドサ回り”が出来ればいいなぁと、今回の山梨遠征で改めて心に刻み込まれたのであった。


新年のご挨拶

おはよう御座います。

「新年明けまして…」と申し上げたいところですが、昨年母親が他界しました故に、ご容赦のほどを。

皆様におかれましては、良き一年でありますよう祈念しております。
本年も、何卒宜しくお願い申し上げます。

Twitter奥田 大輔 (@okkuudaaman) / Twitter
Facebookhttps://facebook.com/daisuke.okuda.758
Instagramhttps://www.instagram.com/okkuudaaman/