「評価」を評価する事の難しさ〜国産ワインコンクール再考



あらゆる分野において、コンクールは華々しいものであるが、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しく、何かと受賞結果についても色々と言われることが多い。ワインコンクールについても、例外では無いと思います。


先日、国産ワインコンクール公開テイスティング甲府にて開催されました。今年で9回目を数えるこのコンクール、日本ワインのレベルを向上させるのに貢献して来たといえます。が、本コンクールも例外に漏れず、様々な意見を耳にします。特にここ最近巷でよく聴くのが、受賞結果と日本ワインファンやプロの飲食・酒販業の考える「良いワイン像」とで乖離があるのでは?と、云う印象です。*1
そうした声にどう応えるか? 今回の記事ではその点について考察してみます。


因みに、2009年8月9日と、同年8月29日に当コンクールについて小生が記事をアップしておりますが、今回の記事では、コンクールに関する事実および現在の立場を踏まえ、過去の見解を見直して改めて小生の意見を書き下ろした次第です。


なお、最初にお断りしておきますが、この記事は当Blog管理人・奥田大輔個人の見解です。その点はご承知置き下さい。


<各論について>
このコンクールで問題として挙げられる事が多いのが、

  • エントリーにおける本数制限
  • 審査の公正性

の2点であると思います。まずは、これらに話を絞って進めます。

  • エントリーにおける本数制限

本数制限*2については、2009年8月9日記事でも触れていますが、

『本数制限は、生産本数300本以上。但し、一銘柄につき単一年ミレジム(=ヴィンテージ)のみのエントリーとする。』

という規定で、中小規模のワイナリーでもエントリーしやすい形にするのが、一つの案として考えられます。詳しくは、上記過去記事の該当箇所を参照して頂きたいのですが、約一樽分の本数であること、絨毯爆撃よろしく同じ銘柄で複数年のを出すのは機会均等の意味から合理的では無い(これぞと思うヴィンテージにのみワイナリー側で絞って頂く)、エントリー本数の無闇な増加を防止出来るという三つの観点から、かようなレギュレーションが望ましいでしょう。
本数制限は、後述するOIVの規定では

Article 3: PRODUCTS ELIGIBLE TO COMPETE(原文は下記の通り。)
The competition is open, without discrimination, to all wines and vitivinicultural spirits, in accordance with the definitions of the “International Code of Oenological Practices” of the O.I.V. All products must have an indication of the country of origin and of the place where grapes were harvested and where the spirituous beverages of vitivinicultural origin were made.
All these products must be destined for sale and must be from a homogeneous batch of at least 1000 litres. On an exceptional basis, a reduced volume, of at least 100 litres, may be admitted upon justification of a particularly low production. All samples must be presented with labels and commercial presentation. If the product was packaged specifically for the competition, the sample shall be accompanied by explanatory documents justifying the status.

という項で指針が示されていますが、この点に関して照らし合わせて見ると最低でも100Lを下限としていることからも、“300本以上”という制限が妥当だと思われます。(あくまで私見でありますが。)

  • 審査の公正性

コンクールの正当性を図るに当たっては当然ながら審査が問題となる訳ですが、貴重な取材記事が実際に掲載されています。
国産ワインコンクール審査会」の審査法を審査する。(但しリンク切れ)
(「Webダカーポ」:2011年8月3日記事より、リンク切れのためウェイバックマシンによるアーカイブをリンク。)
加納忠幸氏の取材によるこちらの記事を読む限り、個人が審査の段階で恣意的なものを挟む事は困難で公正は保たれていると思われます。ただ、審査の集計と協議の所ではどのようになっているのかは取材上の理由からか推し量りにくい所があります。
では、実際海外のワインコンクールではどのように行われているか?貴重な記事がちゃんと出ています。
国際ワインコンクール体験報告(1)
国際ワインコンクール体験報告(2)
国際ワインコンクール体験報告(3)
(いずれも、「楽天Blog - モーゼルだより」より。)
ヴィノテーク誌で寄稿されているライター・北嶋裕氏によるこれら一連の記事を読むと、審査の流れや規定の具体的な内容が運営上実際にどのようなものかがよく分かるかと思います。審査方法はもちろんの事、コンクール全般については実はOIV(国際ワイン葡萄機構・http://www.oiv.int)で規定(PDFファイル・英文)が定められています。また、結果のトレーサビリティーについてもきちんと担保されており、出品者個々の審査員の評価シートまで遡って確認出来るようにもなっていることから審査の透明性が確保されているとも云えます。
国産ワインコンクールの現状と比較してみますと、審査についてはまだ検討の余地があるでしょう。日本はまだOIVには加盟してませんが、将来の事を考えるとこの規定に則って行う事が必要だと思われます。まずは、現行のカテゴリーで審査をOIVの規定に準拠することが先決だと思われます。


<総論として考える>
こうしたお膳立てを整えることは、冒頭に記した声を打ち消していく努力として求められているでしょう。逆に、これらの条件をクリアにしてもコンクールに対しての信頼性がないと言うのであれば、それはお門違いの意見と受け止められても仕方ありません。
少なくとも、OIVの規定を読む限り、単なる品評会では無い事や権威を保つために厳格に規定しているのでなく、コンクールの目的・公正性、そして存在意義を大切にしている姿勢が伺えます。
実際、スポーツにルールがあるように、こうしたコンペティションは一定の条件の下で競うことからレギュレーションが存在する訳で、出品する・しないのポリシーとはまた別の次元の問題です。
また、コンクールによってワインが均質化されるのではという懸念もありますが、逆にサッカーが万国共通のルールであっても、お国柄やクラブ毎のアイデンティティーが確立されている事実からもそこは拙速な意見かと思われます。むしろ、そのような均質化は他の要因からの寄与が大きく、即断出来ません。


話がだんだん逸れてくるので、ルールorレギュレーションの話はさて置き、もっと重要な問題が国産ワインコンクールにはあると思います。それは、「地方行政の一部門」がこのコンクールを運営しているという点です。


小生の手元には、山梨日日新聞の昔の連載「新世紀ワイン王国」のコピーがあります。この連載は県内はもちろんの事県外も含めた日本のワイン事情を丹念に取材したシリーズで、2007年12月13日記事では当コンクールについて取り上げています。記事ではコンクール誕生の経緯や苦労話を中心に書かれており、山梨県の工業振興課(当時)が主導して立ち上げられました(現:産業労働部産業支援課)。即ち、事実上山梨の行政の一部門が担っており、実際に事務局となっています。*3
新聞記事の見出しには、
『50年後も通じる羅針盤に』
とありますが、山梨のブランド戦略としてもワインの位置づけは重要であり、加えて、山梨だけの問題ではなく日本各地の『産地』が自立し互いに切磋琢磨するためにも、ワイン行政の舵取りは戦略的になされることが求められるでしょう。
最近は、中央集権から地方自立の時代と云われています。こういったご時世だからこそ、「行政の一部門」故の限界から脱皮して欲しいと私は思います。自分が骨を埋めることに決めた県だからこそ、外野から難癖つけられるような恥ずかしいコンクールにはして貰いたくない。主催者には、より一層充実したコンクールのあり方を再考し、ブラッシュアップして欲しいと切に願ってます。


とはいえ、ワインにおける行政の位置づけは、酒税の話がからむことから非常にデリケートな問題です。このあたりは「葡萄酒技術研究会エノログ部会が『国際エノログ連盟』に加盟」(但しリンク切れ)(-WANDS online Oct. 2009-より、リンク切れのためウェイバックマシンによるアーカイブをリンク。)の『O.I.V.への加盟とワイン法の制定を!』の所を読むとその一端が伺えます。
従って、県を超え国の枠組みで“国産”のワインコンクールを開催するとなると、現状では「地方行政の一部門」が国の領域にまで踏み込むこととなり、上述した山梨日日新聞の記事で書かれた様々な関門を乗り越えなければならなかったのです。
そうした背景を無視し、迂闊にコンクールを批判するだけで『一挙解決』をしようとするのでは難しいでしょう。『ワインの評価』よりも、もっと重要な課題をどうするか?即ち、行政に行けるワインの位置づけ等まで遡って考えた上での議論が必要かと思われます。(追記:2021年3月10日 ぶっちゃけて言うと、『県を超え国の枠組みで“国産”のワインコンクールを開催する』ことは、ワイン市場という独立した民間市場に、管轄官庁である国税庁がコンクールを通じて介入するとも捉えかねないかもしれません…。)


嗜好品として日本のワインが認知されつつある今ですが、その存在は日本ワインファンが思っているよりも社会的に一般化してません。うっかりすると脆弱な基盤の上にまだあるでしょう。来年第10回目と節目を迎える国産ワインコンクール。そのあり方については、造り手側だけでなく、情報発信をしている上級ファンや飲食業など飲み手側の皆さんも今まで記したことに関心を持った上で、どのような形で主催されて行くのが望ましいか?といった根本の所まで丁寧に議論する時期に差し掛かっているのかもしれません。


国産ワインコンクールは、コンクールそのものだけでなく行政における酒類の位置づけや地方自治の有り方を問い直す試金石だと小生は考えております。

*1:これでも大分表現は抑え目にしてますが、もう少し突っ込んで言うと、実際に市場で定評のあるワインがコンクールではなかなか評価されていないのでは?という批判があるという事です。

*2:現行の本数制限は応募規定を参照のこと。基本は同一ロットをフルボトルで1000本以上。

*3:この点については、山本博氏著『山梨県のワイン』にも詳しく記されてます。