あれから1年ですね、、、。

イケダワイナリーの醸造所の建屋

JR福知山線脱線事故、関西出身故に、今日に関しては現場が遠く離れていても他のニュースより関心がそっちに向きます。
阪神・淡路大震災の時、ボクは大阪にいてたので「生」だったのですが、今回の件は身近で起ってはいないにも関わらず、何でか分からんのですが心に期するモノがあります。
やっぱり、自分の故郷(ないしは近い所で)起った悲しい事件は否応無しにも反応してしまいます。(関東に住んでる今では、’95年と聞くと周囲の人は真っ先にオウムのサリン事件が思い浮かぶそうですが、逆にボクはなんかピンとこないのです。)
人間、「忘れる」という機能は生きて行くために欠かせない機能です。もし、これがないと全ての苦悩を抱え込む事にしまい、精神が崩壊してしまいます。脳が、生きて行くために必要な記憶だけを選別することで精神のバランスを保っているといえます。
しかし、世の中には「忘れてはならない記憶」というものがあります。そうでないと、人間(個人個人によって方向は違うけど)の心の成長がいつまで経っても望めないし、社会がいつまで経っても健全にはならない。
脱線事故に限らず世の中何でもそうですが、「何がどうでも良くて何が大切か」というのをしっかり見極めて今後の糧にするコトが何よりも大事なんやと改めて思わずにはいられません。
(追記)
大事故から1年が経過して
(サッカーのある幸せ)
Helguera氏の文章ですが、しっかりと読ませて頂きました。ボクが考えるに、集団の問題だけに留まらず、個人そのものも病んでいる。そんな世知辛い世の中に傾きつつあると思います。これは、「鶏が先が卵が先か」という訳ではありませんが必ずしも一方だけに帰結しているのでは無いと思います。
でも、ワイナリー巡りして志ある造り手や、今ご一緒させて頂いている山仲間と接すると、まだ心有る人はたくさんいると思います。
問題は、時代が変わっているのに、社会システムが戦後のをそのまま引きずりいまだに変わっておらず、そういう人達が生かされない所にあるのでは、というのが私個人の意見です。
4月12日の記事でも書かせてもらいましたが、草の根レベルでの新しいネットワークというかシステムの構築が求められているし、その方が大企業のような腰の重い組織では無く、フットワーク軽く臨機応変に動けることから、より「人」を生かせることが出来るのではと考えております。
●参考記事
JR福知山線脱線事故から学ぶ ヒューマンエラー・心の傷の心理学
(心理学者による分析。こころの散歩道)

「さて、JR西日本の安全文化を育むためには、乗客の、そして国民全体の協力が必要でしょう。
列車の1分の遅れを問題視するのは、JRでしょうか。乗客でしょうか。日ごろから遅れに対して激しいクレームが付けられる路線と、乗客が静かに待つ路線とでは、JR職員や幹部の発想も変わってくるのでしょうか。」

という一文を読むと、企業体(法人)だけでなく個人にも突きつけられている問題なのでは、、、。そう考えさせられてしまいます。