本当に向き合っているのは誰だ?〜光市母子殺害事件に想う

ようやく、小生落ち着いて考えられるようになったので難しいことだけど、敢えて書くことにしました。で、ボクは
閉塞感に正面と向き合うことこそが僕等の責務(2008年4月17日記事)
にて

『歪んだ個人主義の物真似』状態に今自分の生きてる国がそうなっているんだというのも小生含め、世代に関係なく我々自身もこころの中で負の感情や個人の欲求・欲望があることを知った上で「論理と倫理のバランス」を自覚しなくては本当の意味での『自律』とは言えない、と私自身は思います。

と記し、<おまけ>の項で『スター・ウォーズ』の話を引き合いに出して、「尊厳」が本来の“光明面”を取り戻していくことが出来れば理想なのですが、今の世の中「尊厳」が通じない相手が来たときにどう対処しなければならないかを考えると非常に重い判決だと思います。
そういう意味で、被害者の本村さんはこの事件の関係者の中で本当に自分自身と社会に「向き合った」ただ一人の当事者であると思います。
好き好んで、この判決を歓迎したわけでも無い。でも、本当に更生する道を提示されていてもそれでもそういうそぶりを見せず問題をすり替えようとしている加害者とその弁護団に対してはもうこういう道しか残されていない。そんなジレンマの中、本村さんはこの判決を噛み締めていると思いますし、今後最終的に最高裁で判断が下された後も「終わった話」には出来ない。
単に「死刑賛成」・「死刑反対」といった二元論といった単純かつ枝葉末節な議論では無く、本当に社会を良くしていくためには何をしていかなくてはならないか? それは本村さんが我々に投げかけた重い課題だと思いますし、小生自身も含め、お題にしている「初めてだった頃の気持ち」だけでなく生きていく上で永遠に必要な、「時には目を背けずにじっと見ることの大切さ」も忘れずに持ち続けたい。
それが、今小生が精一杯語れる想いです。