なんで「通り一辺倒病」になるのかなぁ???

昨日、ちょっと仕事でとある大企業さんにお邪魔してましたが、その企業さんは「今をときめくIT関係の産業」(と、いう言い方が通り一辺倒だなぁ。苦笑)ではないのだが、決して内輪受けではなくいかにお客さんに使ってもらいしかも普段の生活を心豊かにするというところで、好奇心旺盛に研究に取り組む当たり前といっちゃなんなんですが、そういう姿勢を忘れないところには改めて感心しました。
身近な製品を造る企業さんだけあって、いつもの生活で長く・人に害のないように使って頂きたいということから、決してムチャクチャ機能が優れているとか言うのでは無く、その機能が生活に結びついた所にあり、しかも研究員自身も普段使うものだからこそ、決して浮世離れしないのにところに加え、それも一つの枠に留まらないのが素直に面白かった。
で、僕自身、ワインについて記事を書くと思うのですが、「ワイン界」というのが、一般の人にとっては「遠い世界」で、ワイン界にどっぷり浸かってる人には通り一辺倒な「内輪受けの天国」の様なドえらく極端に分裂した気がします。本当は、華やかな場を演出する「道具」だけではなく普段頂く「お酒」の中の一つのカテゴリーだし、いろんな顔持っているのに???
もっとも、一つの枠に捕らわれないでといいつつあんまり枠を外しすぎてアサッテの方向に大砲ぶっ放すのはそれはそれでいかがな物ですが、逆にそれは「遠い世界」だからといって通り一辺倒に突き放してベースとなる知識を知らないのをイイことに無茶苦茶になってしまっているからで、例えて言うとずぶずぶの土のところに手抜き工事で基礎造ってマイホームこしらえてしまってる感じがします。
いつもの生活の範囲で、「その道に通じた人」(決して「権威」では無い。また半可通でも無い。)と接する機会が少しでもありそこへ飛び込むこともしなければ、ベースとなる知識も備わらず、そこを土台にして「遊ぶ」ことを大げさでなくてもいいからちょこっとやってみることで、自分なりに引き出しがイロイロ出来てくると思うのですが、、、。
でもそれが、最近はワインだけに限らずいろんなカテゴリーで生じているような気がします。「その道に通じた人」に直接接しなくても画面を介してでも味わえる一番身近な筈のバラエティー番組がボクが子供の頃のようなワクワクした物では無く、それこそ通り一辺倒なのは、「テレビのバラエティを殺したのは関係者全員の責任」でtoroneiさんが指摘してはるように

あんな日本の経済がおかしい時期の、異常なぐらいにお金があった頃の基準が標準になっていて、あのぐらいの予算規模がないと「コント番組が作れない」という感覚の方が歪んでませんでしょうか?

というように、携わってる人間はじめ関係者が普段の感覚から乖離する度合いが余りにも極端になってしまったままあの時から時計が止まってしまっているからだという様な気がします。今のような世知辛いこの頃だからこそいろいろとやらないといけないのに。
それが、いろんな家電やコンピューター等のITや消費財やアートとかスポーツとか分野問わず現れている。そんな気が昨日帰ってきてふと感じたのでした。