「山梨の地域ビジネスセミナー2010」最終回でワインツーリズムを総括。

この日、先日も出席した「山梨の地域ビジネスセミナー2010」の最終回が行われました。お題は、『産地の主体性に挑戦した地域イベント“ワインツーリズム2010”の総括(成果と課題)』で、実行委員長を務めた雨宮一樹氏(麻屋葡萄酒)とプロデューサーを務めた大木貴之氏(Four Hearts Cafe)とコーディネイターを務めた笹本貴之氏(ソフトツーリズム)の三名が登場しました。


お三方本当にお疲れ様でした。今回のセミナーについては、皆様が語られた事を散文形式でそのまま載せると膨大な量になりますので、小生がまとめる形をとらせて頂きました。以下にその内容のまとめを掲載します。

<ワインツーリズム以前(〜2006年)>
希望と挫折の中から始まったワインツーリズム。
山梨での理想と現実のギャップに悩む日々。そうした日常を変えたい想いから各人が集まっていった・・・。

  • 大木さん→Four Heats Cafe
    ただ単に食欲を満たすのでは無く、食文化を山梨で創造し、人を繋ぐ『場』を提供。都内で従事して学んだ事を山梨で還元する。
  • 笹本さん→KOFU Pride
    仕事を辞して故郷・山梨に戻り、生きて行く事の意味を問い直す。(Identityの再確認)誇りの無い自分に対する虚無感からの脱出から、山梨のワインと出逢う。
  • 雨宮さん→麻屋葡萄酒
    大学卒業後、ワイン造りの基礎を研修などで学び、家業の醸造責任者を任されることで地場のブドウ(甲州・べーリーA)の存在価値を自覚。同世代の造り手と意見交換。(アサンブラージュの会に加わる。)

3人共共通するのは、一旦外に出て客観的な立ち位置で見た上で山梨固有の価値を再認識したこと。そして、その「価値」を正しく伝え広めるのに目覚めたこと。
→一元化した価値観(=「東京ナイズ」や「フランスナイズ」)から、地元に立脚した価値観へ。模索の中からスタート。

<なぜワインツーリズムを始めたか?>

  • どんな問題意識があったのか?
    「コンプレックス」の解消。
    自分の気持ちの代弁もあったが、ワイナリーの当事者の気持ちを代弁する形で表現。「自分たちのやっている事に意味があるのか?価値があるのか?」
  • まず、何から始めたのか?
    (1) 広告・編集のノウハウを駆使し、山梨のワインのPR誌を発刊(=「br」)
    (2)「ワインフェス」の開催
    堅苦しい」ワイン会では無く。敢えて造り手と飲み手の余分な距離感を取っ払う(狭い会場もそれを意識してのこと)。
  • 行政・業界との関係は?
    最初は仕掛ける側主体で、行政や業界の意思とは無関係(補助金や広告・宣伝費抜き)。
    ある時、それが行政の側から依頼が。「本来行政主体でやる事であるはずが行政が出来ないことをやった。何か出来ないか?」
    そこで、逆に提案。従来の形式の二番煎じから脱却を図る。
    ⇒ 一ヶ所に大規模で人を集めるようなマス主体のイベントから、分散型のイベントへ。
    勝沼を訪れ散策し自らワイナリーへ足を運ぶ事で、造り手や産地の有りのままの姿を体感する。(引率型による受け身のツアーでは無く、自由行動型による能動的なツーリズム。)


<地域イベントのモデル「ワインツーリズム 2008/2009」>

  • 行政からの補助金
    県から100万、甲州市から100万を交付される。
  • 地域との連携
    既に地元で地道に活動する団体(かつぬま朝市・勝沼フットパスの会)との連携。
    →一から全て自分達でやるのでは無く、地域を良く知る人に参画して頂く

(地元発のイベントだからこそ、協力を仰ぐ必要があった。)

  • イベントの内容とその実際(図はセミナー配布資料より引用)
    ○日々の仕事を活かし、『ワインツーリズム』を通して地域の日常を表現する。
    ○役割分担
    イベントのコンセプトを構築=プロデュース
    コンセプトに沿って趣旨を当事者と共有=コーディネイト
    世界観を造る=デザイン
    当事者と接することで情が移り、コンセプトがブレる事を防ぐため、プロデューサーとコーディネイターを別々の個人で。
  • 山梨のワインを飲んでもらうに当たって。
    →知識を売りにするよりも、『地域』を売りにする。(『知識』を売りにするのならフランスなどの海外のワインを売るのと何ら変わりない。)
  • 日々の仕事を活かし、『ワインツーリズム』を通して地域の日常を表現する。
  • 一部のワイナリー関係者からの罵声を浴びながらも、次代を担う若手層の造り手に一任して貰うことにより実働で協力を仰ぐ。
  • 県などの行政側からは「是非とも成功させて欲しい」とプレッシャーが伸し掛かる一方で、ワイナリー側からは懐疑の目を向けられるという厳しい状況の下で、蓋を開けてみると成功を収める。
  • 何故、自信を持ってワインツーリズムを開催できたか?
    →ワインフェスの開催や「br」の発刊等、2年間の助走期間が大きい。
    何を伝えて、飲んでもらうか?それを形にする。


<成果と課題>
(1)参加者の認識
⇒ 一年中、散策する若者が見られるようになった。(少しづつではあるが)
(2)地元の認識の変化
⇒ 外からの人を受け入れ「見られる事」で、ブドウやワインを造る事に対する向上心が徐々に高まる。
⇒ 今までワイナリーに目を向けなかった地元の人々が存在を意識するようになった。
(3)地域の主体性(「ワインツーリズム」は誰のもの? 運営費は?)
勝沼の外(甲府)からやって来た笹本と大木が勝手にやっている。」
「お金(補助金)が落ちてきたからやってこれたイベント」
⇒ 「偽りの産地」を造ってしまっている。(「地域を一体化しと産地の魅力を共有する」と云う謳い文句とは裏腹に、実際は農家とワイナリーの仲が悪い。)

<「ワインツーリズム2010」の挑戦>
狙いは何か? 何をしたかったのか?
(1)規約の明文化
ワイナリー以外の人々にスポットライトを当てる。「産地」はワイナリーだけのものでは無い。学校や食事するところとかが無くなってワイナリーだけ残っても「産地」と言えるだろうか?
(2)実行委員長の交代
地元若手の代表として、雨宮さんに依頼。
主催地・勝沼の人が運営することで主体性が産まれる事を企図した。他所から持ってきたイベントから地元のイベントへ。敢えて若手主導とし、実行委員が委員長を支える体制に。
(3)一切の補助金の拒絶
行政の支援がある前提からの脱却。産地の人々がボランティアで運営する一方でワイナリーは受益者であった。そこで、ワイナリーに「協賛金」として分相応の負担を求める。
反対の意見が出て賛同が得られなかった所も。
補助金を当てにしていたと云う事実を浮き彫りに。
(4)甲府バスルートの追加
(2)の、「『産地』はワイナリーだけのものでは無い。」というメッセージを折り込むために実施。中心街の風物詩を味わって貰い、ワイン以外の事を絡めることでワインツーリズムに厚みを持たせる。
(5)つなぐNPOとの連携
ガイドブックの作成を委託。普段から街中を案内している団体が恩恵を受けるような仕組み造り。

<地域に必要なのは地域資源の「共有」と活性化事業の「評価」>
新潟県の県職員が山梨へ。
→「『日本酒ツーリズム』をやりたい。」と相談を持ちかけられる。
毎年、コンベンションセンターで集中型のイベントを開催(90,000人を動員*1)しても、日本酒業界はジリ貧になっている。
→イベント来て飲むだけ。実際に酒蔵等で購入する人は少なく、その後の消費に繋がっていない。
→1回の催しにおける規模や収支だけでは計れない波及効果をどれだけ産み出しているか?
地元の名産や逸品をどれだけ応援できるか?応援する事で注目され、誇りを持てるような基盤をつくることで活性化に繋がる。その評価の仕方も、従来は短期の規模や収支といった評価軸から別の評価軸に変えて行く必要がある。そのためには、東京に一局集中化した価値観より、地域に基軸を置いた価値観へとシフトさせて行かなければならない。

<Q&A>
Q1:ワインツーリズムにおいて核となる事業主体が民で形成されて行く必要があるのでは?
A1:日常的に回して行ける体制を少しづつ構築していくことで出来ると考えている。そのためには時間を要するが、地域の人々と『価値』を共有し、拡げる事を持続して行う。
Q2:ワイナリー側としては、ツーリズムを単なる行事の一つか、それとも可能性のあるイベントとして捉えているのか?
A2:ワイナリー以外の地域の人々と連携を取れる数少ない機会。山梨のワイン文化を維持発展させるには、地域全体で盛り上げない限り難しい。農家始め地域の人々とワイナリーが面と向き合っていくための試金石となっている。
Q3:ワインに限らないが行政などがお金を拠出するに当たって、出す側がフィロソフィーを持つべきかそれとも何かあるところに出す仕組みを整える方が良いのか? また、ワインツーリズムを開催した事の手応えは?
A3:出す側が一定の評価をした上でお金を出さない限り、事なかれ主義に陥る恐れが大きい。手応えに結びついているかは未知数だが、今までの大規模集中型では限界が来ているのは確か。
Q4:ワインツーリズムを運営する側が、片手間では無く責任持ってある程度の収益を上げ、地域に還元できる仕組みをうまく整えて行く事が出来ればよいと思います。
A4:そこが課題で。(苦笑)小さな事例を積み重ね実績を上げて行く事で、地域をまとめるノウハウを基にビジネスを興せる可能性はある。
Q5:本来行政主体でやる事であるはずが、何故行政が出来なかったのか? 恩恵を被る人が痛みを分かち、潤うべき人にちゃんとお金が落ちるような仕組みに変えられることが出来るか?
A5:業界を横並びで支援するのでは無く、セレクトして支援し目立たせることで他の所が刺激され結果的に追いつき追い越せで全体が盛り上がるような形にしたから。補助金ありきのやり方から変える事で仕組みを変えられると考えている。
Q6:広告代理店等に投げていた地域活性化事業が、地域主体でそれをビジネス化するという流れにこれからはなるのでしょうか?
A6:お金を投じるのなら地域に落ちるような形でやらないと芽が出ない。地域に出す事で代理店等に出すよりもリスクは負うかもしれないが、リスクを負わないで事業を進める事は出来ない。

<今回のセミナーを終えて>
ワインツーリズムは一定の成功を収めてますが、同時に課題も浮上しています。しかし、課題が浮上した事でこれまでうやむやにされてきたことと向き合い、「産地のあり方」「官と民との間にある構造」「世代間の考えの隔たり」を少しずつでも解消して行くきっかけになったのは間違いないと思います。
そうなると、理念に賛同するところとそうでないところとの温度差が開き、やがては脱落するところもあるやもしれません。ただ、全て「護送船団」でまかなうのでは従来のやり方と一緒で、温度差から来る脱落も理念の合わないところを無理に取り込むよりはブレずに進める他無いでしょう。
ワインツーリズムとそれに付帯するプロジェクトに関しては、これからも様々な壁にぶつかるかもしれませんが、大切なのは『継続する事』に尽きます。これは、私自身にも投げかけられた今後に向けての誓いだと考えております。

[これにて、了。]

*1:ちなみに、毎年山梨ヌーボーの解禁日に日比谷公園にて行われる新酒祭りでは9,000人。ワインツーリズムでは2,000人。