アート・食・サッカー、そしてビジネス。分野問わず根っこの本質は一緒だと思う。

これまで、ボクは
他者に依存しきるのではなく、自分で生きる道を考えないと依存された側も倒れてしまう。」 - 2007年9月30日小生記事
とか、
山から帰って食について考えさせられました、、、。」 - 2007年10月15日小生記事
とかで、考える・それも戦略的にというお題で書いてきましたが、ふとしたことでこんな記事を見つけました。
キーワードでひも解くオシムのサッカー・湯浅健二著『日本人はなぜシュートを打たないか』をめぐる対話(前編)
同上(後編)
宇都宮徹壱氏がインタヴュアー・「スポーツナビ」より)
むかし、「N○mber」なるスポーツ雑誌を読んでたときにラグビー特集で『仕事人』というフレーズ(地味だけど流れの中でキーマンとなっていた選手で、神鋼の武藤選手・サントリーの清宮選手・日本代表の梶原選手等を記事中でこう例えている。)が頻出してましたが、ある共通した目的の下で自身のミッションを具体的に落とし込め、即プレーに反映させれ、それを全体に還元できることはアスリートとしても重要だし、ビジネスマンとしても重要であるというのには納得です。そして、『考えてどう行動を取るか』ということが普段の生活でも大切で、結局は分野問わず共通認識として繋がってくるのではと思います。
ただ、ここで気をつけないといけないのは、個々人の状況・性格といった属人的要素、あるいはどういう分野でのお話かを考慮しないと、

「主体的にプレーする」あるいは「自分で考えて行動する」。いずれも言葉にするのは簡単です。でも、コーチとして選手に伝えるには、抽象概念を言葉にするだけではダメですよね。

と記されているように、論理的な説明がなされない限り今置かれた場における具体的な行動へ反映させることが出来なくなってしまいます。(農業の話してるときに、サッカーや登山の論理持ち出されても困りますよね。あるいは、ワインの話では、ワインに関する正しい知識を知りうる限りで良いから持たないと議論のしようが無くなります。ホンマに。それに、自分とは異なる相手の立場も慮らないと、、、。)
で、これらの話を踏まえると、昨日の日記に記したようにああいう二択的、しかもコメだけ考えるというのは土台無理な話(苦笑)で、『農業全般の問題』というように大きな視野で捉え、野菜・果樹・酪農、そしてコメだけでなくムギなどの穀類とそれぞれのケースで考えないと、コメだけ是正しても済む話では無いと思います。(コメだけの部分最適図っても、他に歪が生じて日本の農業の根幹をも揺るがすのとちゃうのかな?)
自分なりの解釈ですが、「戦略的に」とは、「大きな見地から見て個々の事例に関し丹念に現時点での最適解(理想解ではないことに注意)を探す」ということかな。そして、こういったことは利害を超えて人々が集まらなければ個人だけでは無理。勿論、『話し合い』というのでは済まされない覚悟も持って、、、。
そういった対話が本当の『コミュニケーションを取る』ということではないのでしょうか?
自分自身にとっても、大いに勉強になる話です。ハイ。
(おまけ)
「アマゾンの書評欄」の下りは笑っちゃいます。
(おまけ・2)
ほぼ日刊イトイ新聞」の『任天堂、岩田聡社長と糸井重里が話す。
やはり同じことを考えているのですね。

いま起こってる事象をそのまましらみつぶしに解決していくのは、誰でもできることだし、工夫もいらない。

『戦略的に』の所で、通じるものがあります。大いに参考になりました。