次代への礎となって赤湯のワインの一翼を担う東北の最古参〜酒井ワイナリー訪問

平安時代から続く由緒正しき温泉で、米沢上杉家の御殿湯としても重宝された赤湯温泉街の一角に東北一の最古参、1892年(明治25年)創業の酒井ワイナリーさんがお店を構えてます。駅前通りより一歩入った烏帽子山付近の温泉宿が軒を連ねる中、『山三印』の大黒さんと恵比寿さんをあしらったかつてのエチケットをモチーフにした看板と、『Birdup Wine(畑の有る「鳥上坂」をもじった商号です。笑)』と記した木のボードが目印となっているふらりと寄れる垢抜けない雰囲気の気軽に寄れる「ワイン屋さん」で、従業員のおばちゃんが暖かく出迎えて下さいました。
社長は四代目の酒井叉平氏ですが、現在は長男の五代目・酒井一平氏が実務を取り仕切っています。一平氏東京農大修了後、2004年にワイナリーの跡継ぎとして就任。これまでの温泉街の一葡萄酒醸造元という伝統と歴史を踏まえつつ、本格ワインへの志向もしっかりと見据えた「伝統の中にも現在進行形」が溢れ出たワイナリーとして新たな一歩を踏み出したばかりなのです。
そして、これまで訪問してきた日本のワイナリーさんとは異なる背景の下、とてもローカルで小さな部類に入るにも関わらず、『内に秘めた熱い志』をもった造り手が奮闘しているワイナリーとして特筆すべき所だと小生は考えています。そんな訳で、赤湯のブドウ栽培も含めた「背景」について簡単に振り返りながら、酒井ワイナリーの「今」を振り返りたいと思います。
さて、赤湯のブドウ産地としての歴史は伝え聞く所によると古くは江戸時代に遡るそうで、一平氏曰く、この地で鉱山を拓くに当たり呼び寄せた甲斐の国の金鉱山の坑夫が持ち込んだとか、あるいは修験道の道場の一つ出羽三山に向かう行者が持ち込んだとか言う諸説がありますが、その詳細は定かではと無いと仰っていました。いずれにせよ、不詳な点もありますが好奇心を擽る言い伝えにより赤湯の地には甲州ブドウが持ち込まれ、明治の殖産政策により温泉街から北に位置する鳥上坂(国道の地名標にも出ています。)周辺を開墾しブドウ栽培を生業とする事を選択した経緯から、デラウェア等も導入され温泉だけでなくブドウとワインの町として今日に至ります。そして酒井ワイナリーさんは赤湯のワイナリーの四軒の中でもっとも歴史があり酒井家代々がその看板を守ってきた訳です。
今回のワイナリー訪問では一平氏がわざわざ案内して下さりました。収穫はもっとも晩熟の甲州カベルネ・ソーヴィニョンが先日終わったばかりで、あとは今年最後の仕込みを残すのみ。この日は南陽の菊祭りのためお店のみの営業で、仕込み前の一息つける時間を割いて下さったのです。その収穫された甲州ブドウの粒を御厚意により頂く事が出来ましたが、まず山梨のと異なり粒が大きく皮が厚い、それでいて嫌みな渋さが少なく酸があってシャキッとしていました。また、カベルネ・ソーヴィニョンも頂きましたが、甲州と同様しっかりした皮に適度な渋味に際立った酸が特徴であります。しかし、課題もあり冷涼な気候の中でもいかにして完熟に持って行って酸だけではなく風味を増して行くかが今後「赤湯のワイン」らしさを出す上で不可欠だそうです。(高畠さんの項でも触れましたが、糖・酸が基準を超えていても、それ以外の成分による風味が欠けていてはワインとして味わいが出せません。何故なら、濃縮還元ブドウジュースにアルコールとレモン汁混ぜたのと変らなくなってしまいます。)
実際に鳥上坂のワイナリーの畑を拝見しに行きましたが、それはそれは急斜面。丁度米沢盆地の北端に当たる訳で斜面は南向きですが、真下に国道13号線とJR奥羽本線山形新幹線)の線路を臨むような格好になり、昼間は太陽で熱せられた空気が上昇気流となって風が吹き上がって(そのため、パラグライダーの滑空場所にもなっている。)湿気を飛ばし、夜間は冷気となって山肌を降りて行き一日の寒暖差が激しく、急斜面による水捌けの良さと日当たりとが相まった栽培の条件が揃っている所なのです。そのため、カベルネ・ソーヴィニョン等のワイン用ブドウでは糖度は20度をちゃんと超えるのです。しかし、この石コロの多い急斜面を開墾することは容易では無く、上述した様に明治の頃より本格的な栽培が始まるようになって数多くの人々の努力が実を結んだからこそ、この畑がしかと存在しているのです。
こういった斜面の段々畑では機械はなかなか使えません。かといって、農薬や除草剤撒いて楽にはなりますが、一平氏は赤湯の地の色が見えない「何の変哲も無い」の葡萄となって他の産地の間に埋没するだけで無く、農業資材に頼り切る余りに生産の担い手が消費社会の天秤の片棒を担がされお金だけでなく後継者が無い(なんと、80歳代のお年寄りが殆どだそうです。後継者の問題は、赤湯だけに限った話では有りませんが、、、)と何もかもが立ち入らなくなるパラドックスに陥ってしまう事を危惧してます。そして、いずれは限り有る資源を有効に活用する事こそが生き残るための道と考え、地道に棚栽培の畑を少しづつ改植し、これまでワイン用だけど棚栽培だったメルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン甲州(赤湯の甲州は絶滅の危機に瀕してます!)に加え、カベルネ・フランやコット(マルベック)も栽培し、単なる郷愁を追い求めてとか自然礼賛・あるいはその対極の文明の利器や理屈一辺倒に陥るのでも無くトライアンドエラーの繰り返しによる実践論を主体に「赤湯の地に相応しい」持続可能な農業へと徐々に舵を切りつつあります。それは、「ワイン用ブドウ」としての仕立て(垣根だけで無く急斜面で良く用いられる一本木仕立ても検討中)に始まり、鳥上坂の地での適応性等、栽培面の見直しに限らず、農業形態全般を視野に入れた長期的な試みです。(その一環として取り入れているのが、ヒツジさんの放牧。羊が雑草を食み糞が肥料となって土に還ることを狙ってます。その様子はワイナリーのBlog「コルクの葡萄畑」をご覧アレ。一平氏曰く、「唯一の泣き所は、勢い余ってブドウの葉っぱまで食してしまうんです。」と苦笑してました。)
そういった方針は醸造にも反映されており、タンク内での発酵(→物によっては樽貯蔵)→一升瓶による熟成→720or750mlに移して市販品とするといった一見手間のかかる工程を逆手に取る事で、上澄みを丹念に移し替えることで澱引きやろ過を行わない工程を取ってます。故に、機械に頼らなくても正真正銘の「生詰め」ワインになっているのです。また、樽は珍しく500L台の大樽をメインに小樽も大事に使っており樽の香味に頼らず徹底して使い込む(他の道具もそう。バスラン式の圧搾機は中古。垂直式の搾り機も有ります!)スタイルです。このようにして造られたワインは生詰めによる豊かな果実味プラス穏やかな熟成感による柔らかな口当たりが相まった味わい深くも親しみ易い逸品に仕上がってます。詳しくは、前日のワインフェスティバルの記事を参照して下さい。
このように、一平氏は、溢れる情報やモノにまみれることを是とせず、かといって頑なに昔ながらの「頑固一徹」拘り一筋でも無い、自分の生まれ育った地に相応しい新しい価値観でワイナリー、ひいては農業を営んで行こうと考えてます。それは、若干29歳の青年が抱く夢としてはとてつもない壮大な夢かもしれません。でも、まずは「次の代に伝える事が使命」と自ら礎となることを厭わず、すがすがしく語るその姿には、「赤湯とワイナリーの歴史を踏まえた生きる道と存在意義」を自身の手で見定め、身の丈相応で取り組む決意を垣間見たと同時に、ブドウ産地復興も睨んだ地道かつ長期的視野を持った経営者としての自覚をもはっきりと感じます。そして、酒井家の人々は勿論のことワイナリーの従業員さんもその姿を温かい眼差しで見守っているのです。
凄く、凄く心に刻まれたワイナリー訪問でした。
(ご当主の酒井一平氏には改めてこの場を借りて御礼申し上げます。本当に有難うございました。)