重厚長大から機動力を生かす「発想」へ、そして大事な「演出」

写真の二冊の本、最近購入しました。時間かけてボチボチ読んで見ようと思います。
(偶然ですが、時期を同じくして届きました、、、。)
さて、また食の安全問題が噴き出しましたが、もうあっちこっちから火の手が上がっているようで、これではオロオロしてあっちこっち走らされる救急車のごとくです。
原因究明(そもそも、いつ混入したのかわからない?)や食糧輸入に関しての各論はあちこちで語られているし、一括りに「こうだ」と断定するのは結論急ぎすぎなのでここでは敢えて触れません。(ただ、海外依存に関しては現実的に出来る範囲で見直した方が良いでしょう。)
でも、このような対応(例えば、「ギョーザ事件」の場合、こちら。宇都宮はエエ迷惑でしたね。)を見るにつけ、組織が重厚長大かつ縦割りになり、

  • 意想伝達が上手く行かない。
  • 真相が薮の中。
  • 右から左へ流すだけに陥りやすい。

等々、当たり前のことやけど、皆さん、異口同音に・あるいは声出してないけれど結構前から思っている人は多い筈。昔の右肩上がりの頃から相変わらず抜け出せないことが残念でなりません。(これじゃあ、このコラム*1の最後の方にある一大PCベンダーが「味気のない一言」を言い出すように硬直化してしまうのがオチです。)
で、私は先日「やまなしワインフォーラム」に出席して、『シンポジウム「新世紀の山梨県産ワイン」』を聴講しましたが、どうも「過去の構図」に捕らわれ過ぎているきらいがあります(全てでは無いが)。しかし、農家とワイナリー間で「若手醸造家・農家研究会*2」という現場レベルでの交流が始まったことは、まだ希望が持てます。ただ少々残念だったのは、フォーラム後の関係者諸氏との話や盆略様のブログ内でのコメント*3から、そして小生自身も肌で感じたのですが、「楽しく飲んで頂く」という肝心のところが討論の中で置き去りにされていたことです。
甲州ワインを市場に浸透させる戦略を練るべし」や「公共事業投資を農業振興に」という意見やコメントも出て結構白熱しました。しかし、『戦略』や『振興』も機動力ある集まりで進めることが今の世の中にフィットするのではと思います。
『山梨の今後』を占う上で、今回のワインの件はモデルケース(いろんな意味で)となると思います。そして、真剣さも必要ですが、人様に楽しく飲んで頂く為にも当事者も「肩の力抜いて時には楽しく」取り組んで行くことを願っています。そして、心ある「日本ワインサポーター」が増えてくれる事を祈りましょう。
(「勝沼人」様、ご意見有難うございました。ただ、個人的には「試飲会」も色々(ワインのみの分析的な物から料理との相性を探る物まで)ありますし、「料理あってのワイン」は甲州種に限ったことではないと思います。小生は2007年5月23日記事の様に考えています。)
○関連記事
山梨日日新聞社 Miljan -みるじゃん-・『やまなしワイナリーめぐり』」の<講演会・インタビュー>の項にフォーラムの要旨が掲載されています。(2008年2月14日付)