「ペテン師」と「虚構から夢と希望を紡ぐ人」とは天と地ほどの差があります

村上春樹氏のエルサレム賞授賞式でのスピーチは、琴線に触れると云った陳腐な表現では例えられない人の心への示唆が込められています。
Murakami, in trademark obscurity, explains why he accepted
Jerusalem award

(“Jerusalem Post”, Feb.15, 2009)
大企業の長や国家の首長であろうとも、一人の人間という意味では変わりありません。組織から離れた一個人という立場は不可分で、『卵』として存在している。そして『壁』と例えている制度やしきたりや宗教や社会の機構は、何を隠そう『卵』な人間が造ったものです。天から降ってきたものではない。
「文学的な表現であいまい。」「カッコつけているだけ。」といったニヒリスティックな批判もあるかとは思いますが*1、アーティストでも身銭を稼ぐ必要があるのですから、制約のある中で同様に『卵』な存在ではありながらも、この世に産まれたのなら健全な身体である限り今を生き続けなければ成りません。
大げさに訴えかけているのではなく、素朴でありながらも流麗な表現であることで人の心に染み入リ、潤いを与えてくれる。これこそ、小説家の本望だと思います。
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邦訳は下記Webページを。ご参考までに、、、。
http://maturiyaitto.blog90.fc2.com/blog-entry-139.html
http://ahodory.blog124.fc2.com/blog-entry-201.htm
拙速な受賞批判に対して心ある人は嘆いておられます。
エルサレム賞の意味を知らない日本人(「そんなテルアビブ★イスラエル★」より)
「よくやったよ、君は日本人の誇りだ。」、この一言がもっともでしょう。
壁と卵(「池田信夫Blog」より)

*1:政治的なことや組織に対する責任はその長たる人が全うするものであり、アーティストは批判や揚げ足取りというような立場では無い。ニヒリスティックな批判や政治的加担と勘違いをしている人はかようなことを残念なことに鑑みていません。